東京電力福島第一原発事故を検証する「国会事故調査委員会」(黒川清委員長)が連日、開かれている。勝俣東電会長や枝野元官房長官らが参考人招致されている。
「責任を逃れるがための、パフォーマンス質疑応答」と揶揄される事故調。
「時間の無駄だね。昨年の7月までにやっておくべき検証だろう」(シンクタンク社員)

5月28日、委員会は菅直人前首相をついに参考人招致した。菅氏は確かに、踏み込んだ発言をした。
事故の責任が国にあることを明確にし、「責任者として事故を止められなかったことに心からおわび申し上げる」と陳謝した。
「冒頭で事故の責任を認めながらも、3時間近くに及んだ質疑では自身の判断の正当性を強調しました。さらに東電や原子力安全・保安院への厳しい批判を随所で展開したのです。会場からは失笑すら漏れていた」(プレス)
これまでの国会事故調では、菅氏が事故直後、現場に過剰介入したことに対する疑問が示されていた。菅氏は、福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)に「電話で話したのは2度」と反論。「的確な情報が上がっていれば必要性は少なかった」と話し、事故直後に福島第一原発の視察を強行したことの意義を強調した。

ちょっと真剣に考えてみよう。管元首相は「よく東電の人は“官邸の意向で”という言い方をする。官邸に派遣されている東電の人が、自己責任において発言したということについて、それは官邸の意向ではないので、きっちりと分けて検証していただきたい」と言う。
さらに、「原子力事故にあたってどのような権限が首相、本部長としてあるのか、詳しい説明を聞いたことは覚えている限りない」とのたまう。

ところが、委員が平成22年10月に中部電力浜岡原発事故を想定した防災訓練に首相として出席したことを指摘すると豹変(ひょうへん)。「もっと早くからしっかりとした説明を受けて知っておいた方がよかった」と釈明した。
あきれた。要するに「説明を受けていないからどうしたらいいかわからない」というのだ。これでは叱られた中学生の言い分である。
生徒手帳を持ち歩かなくてはいけないとは説明を受けていない。
だから持っていないと攻めるな、というロジックとどう違うのか。一事が万事この調子で。菅氏は答弁用のメモを周到に準備していた。

「じゅうぶんに理論武装されていました。まあ時間がたっぷりあったから想定問答でも繰り返していたのではないでしょうか」(全国紙記者)
自民党の幹部秘書が言う。
「今のところ、民主党の汚点をつくには、原発事故が最大のエポックだね」
冗談ではない。原発事故や処理の仕方を政争の具にするな。
時をさかのぼろう。よく指摘されるが、原子力による発電を日本に持ち込んだのは、読売新聞社の正力松太郎氏だといわれる。正力は、端的に言えば「総理大臣をめざすために」アメリカの支援を得て、永遠のエネルギーたる原子力発電の導入に踏み切るのだ。要するに、「政治のカード」とて原子力発電を利用したのである。

1955年に正力は、読売新聞を使って「原子力平和利用懇談会」をスタートさせる。正力は財界をまきこみ、原子力ビジネスをもくろむ企業家たちから選挙資金を確保できるようになっていく。
あの時から、60年近くたっても原子力発電はいまだに「政争の具」である。本当に私たちは歴史から何も学んでいなかったのだろうか。
まあ残念ながらわが国の最高意思決定機関とやらは、進歩はしていないのだろうな。大飯の原発再稼働がどうやら現実となりそうなのだから。

(渋谷三七十)