驚いた。鹿砦社の関西本社によると、広告代理店を通して東京新聞に反原発本の広告を依頼したところ、『東電・原発おっかけマップ』が広告掲載を拒否されたのだ。理由は①個人情報(東電会長、勝俣恒久や原子力安全委員長、班目春樹などの自宅)が掲載されている。②取次会社に委託配本を拒否され書店で販売できない本である、の2点だ。
「おかしいじゃないか。うちの家や庭にも放射性物質は落ちてきている。それをまき散らした張本人たちの家を、私らが知ることができないというのは、どういうことなんだろう。彼らの家を訪ねていって、なぜ安全だとウソをついて原発を作ったのか、問い質してみたいね。それぐらいの権利は、私らにあるんじゃないだろうか。福島の農作物は、放射能に汚染されているということで売れなくなっている。安全なはずの原発から出てきたものなのだから、そう言っていた方々に食べてもらいたいとも思うしね。私らには、その本は必要だよ」(郡山市民)
警戒区域に入っている浪江町の自宅に一時帰宅していた男性が、5月28日に、自分の店の近くにある倉庫で、首を吊って亡くなった状態で発見された。原発事故による絶望で、また一人、尊い命を自ら絶ったのだ。
これまでにも、「原発で手足ちぎられ酪農家」という辞世の言葉を残して、酪農家が自殺した。「私はお墓にひなんします」という辞世の言葉を残して自殺した、高齢の女性もいた。
「自殺者の葬儀に、原発を推進した人々が参列したという話は聞いたことがない。東電を提訴した遺族もいるが、位牌を持って関係者の家を訪ね、弔意を表してほしいと思う遺族もいるのではないだろうか」(福島市民)
「冗談じゃないと思わないか。個人情報がダメというのなら、『マスコミ電話帳』はどうなる? ゼンリンの住宅地図はOKなのか! 紳士録的なものはどうなのか、基準がさっぱりわからないね」(東電を追跡しているライター)
「すごい言い分だね。取次会社に委託配本を拒否された本の広告はダメというのなら、文化水準として、取次会社が認めた書籍は広告できて、それ以外は広告の自由すらもないのか。日本はいつから取次が仕切る共産主義国家になったのか」(識者)
東京新聞は、東電がバラまいてきた広告をよしとせずに、独自路線で走ってきた新聞である。特報部の取材力も見事で、『レベル7 福島原発事故、隠された真実』(幻冬舎・東京新聞原発事故取材班)などは秀逸だ。権力に巻かれない矜持がそこにあり、それで売ってきた新聞だ。
それなのに、まるで権力主義のごとく、小出版としては1千万円以上の製作費をかけ膨大な取材力を要した反原発・反権力の書籍を切り捨てる。これは矛盾ではないのか。
「東京新聞」の編集委員である五味洋治氏が中国にいる間から、金正男を追跡し、メール友達となってリリースした本 『金正男独占告白 父・金正日と私』は、東京新聞の威光を笠に書いた本ではない。五味氏が粘りに粘って関係を築いてようやくこぎつけた往復メールと、それにより実現した稀少な面会取材が主体となっている。
「東京新聞」は、悪くいえば放任主義。良く言えば自由闊達な雰囲気があふれている。
こう嘆いている私も1年ほど品川(当時)の東京本社でアルバイトをしていたことがあるが、確かに学生をうまくアルバイトとして使っていた。良くも悪くも、リベラルな雰囲気が漂っていた。競馬記者が、漫画の原作を書いたりもしていた。アルバイトがおおむねOKな会社なのだ。社内には、理髪店や食堂もあった。
「東京新聞」は中日新聞東京本社が発行する日刊一般新聞(一般紙)だ。関東地方もしくは東京都のブロック紙が前身だが、現在は全国紙としての面も併せ持っている。その歴史は古く、1884年(明治17年)に東京・京橋で「今日(こんにち)新聞」として創刊されたのが始まりである。1886年(明治19年)には「都(みやこ)新聞」と題号を改めた。
由緒ある新聞なのだ。現在、「サンデー版」は取材力と英知を結集した作りで話題を呼んでいる。1面と最終面を大きく使って、学校授業でも使えるような「大図解」を展開。イラストも縦横無尽に掲載している。編集の見本のような作りである。これまでの新聞の常識を打ち破る「見せ方」にため息をついたブンヤも多かったのではないだろうか。原発事故の追跡記事は、特報部が手掛けたものだ。まったく権力とは一線を画して、内容の充実ぶりは凄まじいとさえ感じる。彼らのプロフェッショナルぶりは、東電マネーが流入していた、例の雑誌『創』でも特集されていたが、「創ごときに言われたくない」というのが本音ではないだろうか。
私は、特報部のベテラン記者が、衆議院議員会館で野田首相に政治記者たちがブラ下がるのを見て、「つまんねえこと、聞くんじゃねえぞ」と大声で吠えていたのを見たことがある。彼は政治ネタでスクープを連発していた。恐るべき胆力だ。3月26日は、ものすごいスクープを特報部が打った。一面記事には「システム関連入札 最高裁『1社応札』78% 無競争で落札率高止まり」の見出しが躍っていた。<最高裁が2008年から10年にかけて実施したコンピューターシステム関連の一般競争入札で、参加企業が1社しかなく事実上無競争の「1社応札」が8割近くに上り、そのうちの大半で、90%以上の高い落札率になっていたことが分かった>で始まるその文面は、裏取りを重ねて血を流した記者たちの執念が形となっていた。最高裁が、1社に肩入れしているとしたら、癒着ぶりは大問題である。膨大な裏取りに汗を流したのだろう。この感覚は、おそらく記者にしかわからない。
それだけに、嗚呼、東京新聞よ! 広告に関してもリベラルであってほしかった。鹿砦社の松岡利康社長は語る。
「今、鹿砦社の広告を、ほぼ無条件で掲載してくれるのは『週刊金曜日』『サイゾー』など数誌しかありません。東京新聞のウワサは関西でも伝わっていて、だからこそ広告出稿を思い立ったのです。それも毎週1回連続で出すことにしたわけです。東京新聞よ、決して“マスゴミ”になるな!と言いたいですね。この本は、けっしてキワモノでもなく、小出裕章、今中哲二、高野孟、山口一臣、歳川隆雄氏ら第一線で頑張っている研究者やジャーナリストのインタビュー記事も掲載されていますし、客観的に良く出来た本だと思いますよ。本書の広告を掲載しないということは、小出先生はじめ反原発で闘っておられる方々の意志を否定したことになり、先生方と共に『東京新聞』に何らかの意志表示をすることも考えています。反原発の意志を表明したことで仕事を多く失った俳優の山本太郎さんにも、『いい本じゃないか』と高い評価を受けました。かつて私たちは、毎日新聞と広告掲載ドタキャンでこじれ裁判闘争に踏み切ったことがありますが、私の性格上、瞬間湯沸かし器になったり、場合によれば、今回それもやむなしとなるかもしれません。そうならないように意を尽くしたいと思い、他の反原発本の掲載をやっている間に、代理店に本を見せて説得してもらうことにし、本日、くだんの『東電・原発おっかけマップ』を送ったところです」
東京新聞よ! 新聞は権力に相対して、存在力を発揮する。であるならば、広告に関しても、権力におもねるような規定はすぐに撤廃してはいかがだろうか。
(渋谷三七十)