「今年から2015年にかけて、定年が5年伸びた“団塊の世代”が社会から消える。そうなれば、もっと週刊詩は売れなくなる」(流通アナリスト)

日本ABC協会(Japan Audit Bureau of Circulations=新聞雑誌部数公査機構)による2011年下半期(7~12月)の雑誌販売部数は以下の通りだ。
(1)『週刊文春』49万2844
(2)『週刊現代』43万3423
(3)『週刊新潮』38万9948
(4)『週刊ポスト』33万3830
(5)『週刊大衆』17万4048
(6)『週刊朝日』13万4934
(7)『週刊アサヒ芸能』11万9655
(8)『AERA』8万6293
(9)『サンデー毎日』6万6605
(10)『ニューズウィーク日本版』4万3205

なお、「週刊実話」はABCには入っていない。
「それにしても目だつのは『週刊新潮』の凋落だね。毎年、7万部ずつ部数を落としていってるのではないだろうか。あと、『週刊現代』の粘り腰が目立つね」(取次会社)
10年前に比較すると、売上が4割も減らしている週刊誌はいつから「凋落」が始まったのだろうか。ベテランの記者は言う。
「出張に行かなくなった04年ごろからだろうね。地方の事件も電話取材ですませたりし始めたあたりから、雲行きがおかしくなった」(週刊ポスト記者)
「データマンが取材して話を集めて、アンカーがまとめるシステムに限界がきたのではないか。『週刊文春』は、データマンとアンカーに分かれていない。ひとつの事件を3人で取材するときも、3人の誰かがアンカーになる。つまり、データマンがあげてきた取材ネタを、アンカーが加工することがないから生々しくなり、おもしろいのだ。データマン+アンカーシステムの分業制度だと、得た事実をもとにしたとしても、婉曲しておもしろおかしく報道されやすい。そのあたりを読者は鋭敏に見抜いているのだろう」(週刊誌副編集長)

「取材すれば、雑誌がおもしろくなる」=部数につながる、という時代が終わったのだ。
私としては、ち密な取材をしている雑誌はおもしろい。「新潮45」や「サイゾー」などはかなりがんばっているとは思う。
「しかしねえ、取材記事がメインの月刊誌は売上げが讃嘆たる有様です。ネットのニュースのほうが展開も早いし、危険なネタでも踏み込んで書いてあるので、みんなそちらのほうを見るのですよ」(ネット運営会社)
やりにくい時代になってきた。週刊誌記者が、ネット情報の裏をとっている始末である。これでは本末転倒だ。

「じっくりと時間をかけた調査取材はおもしろいけどね。北原みのりさんの木嶋佳苗の傍聴ルポも売れているのだろう。ああいう腰を据えたネタがいいね」(書店スタッフ)
出版社は経費が枯渇して、編集者が減っている。多くのフリー記者は、取材に経費も時間もかけられない。
フリー記者は、もう2、3年たつと、よほどリッチなスポンサーでもできないとノンフィクションだけで食べるのは無理なのではないだろうか。古い時代がすべていいとは言わないが、取材記者には、生きにくくなった時代である。

(渋谷三七十)