「バカバカしくて、聞いてられないね。帰る」と外電記者は会場をあとにした。
6月8日、東京電力の清水正孝前社長が、国会が設置した福島第1原発事故調査委員会(黒川清委員長)の参考人聴取に応じた。3時間にも及ぶ質疑応答でわかったことは、清水は「原発の状況は、現場の人たちが一番わかっていることだから」とまったく責任を感じていないことだ。その詳細な中身は大手メディアに譲ろう。
150人を超える記者たちから、ため息が連続していた。これは、いったい誰がなんのためにやっている茶番なのだろうか。

2号機の状況が深刻化する中、原発からの全面撤退を政府に申し出たとされる問題については、多くの時間を割いて野村委員が質問した。「撤退と言ったのか」「言わなかったのか」「全員と言ったのか」という問題は、最大のポイントである。
清水元社長は、「『全員』とか『撤退』とは、まったく申し上げていない」と重ねて否定した。参考人聴取は公開で行われたが、記者が質問する時間はセッティングされていない。
質問する野村委員のイライラは、十分にこちらにも伝わってきた。

会場が最も集中したのは、清水氏は昨年3月14日午後から15日未明にかけての官邸側への電話連絡で「退避」という言葉を使った瞬間だ。のらりくらりと「緊急時に対応する人を残すという意味だった」と説明してみせる。「状況が切迫している中でのやりとりなので、微妙な意味でニュアンスがずれたのかもしれない」と釈明した。
冗談ではない。さまざまな事故検証の結果、福島第一原発の作業員たちは「上がなんと言おうと、俺たちが原発を止めよう」と吉田所長をはじめとして命がけだったのだ。

近隣の話によれば、清水の住む赤坂のマンション周辺は、
「警察官や警備員が大量にいて、ものものしかったです。とくに取材やデモはなかったのですが、異様な光景でした」
と言う。

さらに、清水は会見場の参議院議員会館の裏手の駐車場に車を一気に滑り込ませ、記者と接触しないように裏口から出入りしたという。
清水よ、いつから太陽の下、大手を振って歩けないようになったのか。何をおびえているのだ。

30分延びた会見を出て、国会記者会館の前を通ると、野田首相が大飯原発を再開する放送が大ボリュームで流されて、デモ隊が「ふざけるな」と叫んでいた。もしも記者でなかったなら、参加してしまい心境だ。

事故調の黒川清委員長が、煮え切らない清水に言った。
「現場の人たちに聞くと、上がなんと言おうが、作業は続けるという気概に満ち満ちていた。上にいけばいくほどだらしない、という評判も東電ではきく。上の人は模範であってほしい」

喫煙室でたまたま会ったAP通信の記者は「チルドレン・コート」とこの事故調を表現した。「幼稚な裁判」というわけだ。
清水は、6月25日から東電が筆頭株主である「冨士石油」の社外取締役に就任するという。
これほど世の中を舐めた天下りがあるのだろうか。
清水よ、もう電気を使うな。あなたには、その資格はない。

(渋谷三七十)