国会の福島第一原発事故調査委員会で、関係者の聴取が行われている。
9日に野村修也主査は、「総理大臣官邸と発電所が直接やり取りするという、本来、法律が予定していないと思われる情報伝達が行われ、発電所に対して情報入手のために頻繁に電話が入るという事態が起こったことに対し、問題意識を持っている」と指摘した。まだ報告書をとりまとめる前の段階で、ある程度踏み込んだ見解を示している。

そのうえで、「場違いで初歩的な質問もなされるなどしたため、発電所で現場対応に当たる者が余分な労力を割かれる結果になったと考えている。今回の事故の対応においては、官邸が過剰な介入をしたのではないかと考えている」とし、当時の政権幹部が必要以上に関与したことで事故対応に支障を来した可能性があるという見方をした。要するに、政府が現場に干渉したために原発の収束が混乱したというのだ。

また、菅前総理大臣ら当時の政権幹部が、東京電力側から作業員全員の撤退を打診されたという認識を示していることについて野村氏は「今回の事故で、東京電力が全員撤退を決定した形跡は見受けられないという結論だ。菅前総理大臣が東京電力の全員撤退を阻止した、という事実関係を理解することはできないというのが委員会の認識だ」と話した。

要するに、菅前総理大臣らの認識を否定してみせたのである。
セッティングしたのが電事連だそうだが、震災当日に奈良観光に興じていた清水元社長は大問題だ。万死に値する。加えて勝俣会長は中国へマスコミ接待ツアーに出かけていた。2トップが会社をあけていた間に、原発事故が起きたのである。しかし前々から個人的に疑問的に感じていたのは、
「はたして東電の社長が、首相に向かって『全員を撤退させたい』といけしゃあしゃあというだろうか」というクエスチョンである。
清水が無責任なのは、今や日本人ならば全員が知っているが、果たして本当に「全員を撤退させてくれ」と言うほどのアホだろうか。

仮に、もし事故調査委員会が示している見解が、正しいとしよう。
そうすると今度は非難のほこ先は、当時の管直人に向いてくるわけで、それならば「なぜ撤退という単語が出たのだろう」という話になってくる。

もしアメリカであのような原発が起きていたら、とアメリカ人記者に聞いてみた。
「それは決まっているだろう。福島原発、オフサイトセンター、官邸、東電本社、原子力安全委・保安院をすべてつなぐ緊急回線を開いて、誰でも指示や発言が聞けるようにするのさ。それでイヤホンを耳に突っ込んで終わりだろ。よくドラマの『24』でもやっているだろう。じつに簡単な話ではないだろうか」

その簡単なことが、日本ではできない。東電内部でも、事故を必死になって収束させようとしている福島原発の現場と、なんとか廃炉にはしたくないという本店の間に、齟齬があった。官邸に詰めていた、原子力安全委員会の委員長の斑目春樹は、それまで安全だと言い続けてきたことに固執して、爆発はしないと断言してしまう。

東電に情報を隠され、原子力の最高レベルの専門家であるはずの斑目の言うことはデタラメ、実際の情報が伝わってこない。管直人でなくとも、人間ならば「どうなっているんだ」と叫ぶだろう。
取材で会った日隅一雄氏(弁護士・ジャーナリスト)は、「東電が情報を公開しないという点が最大の問題である」と言い切る。
彼の言い分は、いずれ機会を得て紹介したい。

事故調では、勝俣会長も、菅の現場への介入で混乱したと、いけしゃあしゃあと述べた。たいした開き直りだと感じたが、菅に責任転嫁して東電の罪を軽く見せるというシナリオでも、事故調にはあるのだろうか。

今、清水元社長が本当に「撤退」と言ったのか、言わなかったのかを議論してももはや水かけ論である。「一部の人間を残しての、撤退」が、東電への不信感が募っていた官邸には「全員撤退」の意味に取られた、ということは十分考えられる。

それよりも未来を考えよう。何か国家規模の事故が起きたとしよう。
官邸とは何をするところなのか、官僚は有事にどうすべきなのか、また民間企業は、どう決断し、誰と連携をとるのか。
これを機に、「国家的危機のリスクマネージメント」の枠組みをしっかりと作っていただきたい。
有事の際に国民が頼るべきは、情報が集積した場所、すなわち国家となるのだから。

(渋谷三七十)