世界的に知られる巨星が、墜ちた。「華氏451度」などで有名な米国のSF小説の巨匠、レイ・ブラッドベリ氏が6月5日夜、ロサンゼルスで死去した。享年91歳。長く闘病生活を送っていた。現代のありとあらゆるSF小説家に影響を与えた巨星について、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は「現代のSF小説を小説の主流に押し上げた」とたたえた。
個人的には「火星年代記」が記憶に残っている。地球人が火星を探検するのだが、まるで行ってきたようなち密にしてリアルな表現と、夢にあふれる冒険譚。日本の筒井康隆、星新一、小松左京などの大家にも影響を与えたのは、言うまでもない。
残念ながら、新人の登竜門となるSFの賞は今、日本には存在しない。もしSF小説家になりたければ、ひとまずライトノベルを書くしかない。かつては小松左京賞があったが、09年になくなってしまった。
単純に思うのは、SF小説を認める土壌が日本からは消え失せつつあるのではないかという点だ。とても心配に思う。私が中学生のころは、小松左京はもちろん、眉村卓、筒井康隆、星新一、半村良などキラ星のごとくSF小説の大家がいた。そうだ、荒俣宏や平井和正などもいた。もちろん「グイン・サーガ」の栗本薫も。それらの小説を、授業中にこっそり読んでいる者も少なくなかった。
SF小説を、誰が殺したのか。さまざまな角度からの見方があると思う。
私は、小松左京が書くのを止めてからだと考えている。そのきっかけは何か。
1995年1月に起きた阪神大震災の検証ルポを一年にわたり、小松は新聞に掲載する。暑い7、8月に精力的に取材に歩いていた小松は、体調を崩し、しだいに「うつ」になっていく。NHKの特集番組によれば、理論的には倒れるはずのなかった高速道路がなぜ倒れたか、高名な学者に「いっしょに検証しよう」と申し入れる。だが、研究者は「地震が私たちが考えるよりはるかに大きかっただけで、私たちに責任はない」と断る。電話を切られ、唖然とする小松。
これが「小松左京の心がベチャッとつぶれた時であろう」と友人の石川喬司(作家)は指摘する。いつの時代も「民」を殺すのは「官」である。
小松左京は「日本沈没」で、どうしたら日本列島がつぶれてしまうか、検証に検証を重ねた。SF小説とは、言い換えれば「検証の記録」である。そうした意味で、文学であると同時に、化学も、科学も、数学もひっくるめて実学というニュアンスをたぶんに含んでいる。学者以上に探究しないと書けないシロモノだ。
小松左京の作品には加えて哲学があった。議論が分かれると思うが、小松の精神を引き継げるのは、伊藤計劃であったとおもう。だが07年にデビューし、わずか2年で早逝してしまった。死後、長編小説「ハーモニー」で日本SF大賞と米国のフィリップ=K=ディック賞を受賞している。まだ日本には、鈴木光司もいるし、瀬名秀明などすぐれたSFの書き手がいる。
「華氏451度」はそういえばトリフォーが映画にしたなあ。
「おい、レイ・ブラッドベリが死んだぞ」と若いライターに話すと「なんですか? お酒のブランドですか」と返した。悲しい時代である。
レイ・ブラッドベリの魂は、まだ生きている。SF小説文化の復活が待たれる。日本の新しきSF小説家たちの台頭を望みみつ、レイ氏の死を悼みたい。
(渋谷三七十)