雑誌掲載時の予期せぬ反響によって編集部、出版社が掲載を謝罪、作者自らもテロの恐怖に怯えて焚書した小説、大江健三郎『政治少年死す セヴンティーン第二部』、深沢七郎『風流夢譚』。
この2作を所収し、論じているのが『憂国か革命か テロリズムの季節のはじまり』(鹿砦社)である。

1960年10月12日、日比谷公会堂の党首演説会。演説する浅沼稲次郎・社会党委員長は、壇上に駆け上がった17歳の山口二矢少年に刺殺された。日本赤化をはかる社会党の指導者に天誅を下す、という右翼思想にもとづいたテロであった。逮捕された山口少年は、数日後に獄中で首つり自殺する。

この事件をヒントに書かれたのが、『政治少年死す』だった。
一水会顧問の鈴木邦男は、本書の中の対談で、こう語る。
「どうしようもないのかなあと思って読み返してみたら、山口二矢を評価しているところがあるし、当時の十七歳の少年の心理をかなり書き込んでいるし、あの時代の時代背景もきちんと書いているよね」
また、「これは大江健三郎自身が失敗作だと思って、批判されてボツになったことをいいことに、もう出そうという気はないんじゃないか」という文芸評論家・?秀実の説も紹介されている。

読んでみると、葛藤をはらんだ右翼少年の心理に引き込まれていく。素直に読めば、読者は、少年に共感するだろう。だが、ラストで裏切られる。
獄中で自死する、少年。
「絞死体を引きずり降ろした中年の警官は精液の匂いをかいだという……」となっている。
いったい、どういう意味なのか。隣の独房には、幼女強制わいせつ犯の若者が、かすかにオルガスムの呻きを聞いた、というのだが、自殺の最中にオルガスムに達したということなのか。
こうもラストが訳が分からないと、小説としては失格だ。
戦後民主主義者を自認する大江が、右翼少年に共感する文章を書いてしまったので、エクスキューズとして付け足したラストなのか。
小説の質はともかくとして、この時代を知るために、読むべき小説だ。

テロから小説、そして焚書となったのが『政治少年死す』なら、小説からテロ、焚書となったのが『風流夢譚』だ。
以下の記述が、右翼からの怒りを買う。
「こんどは美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラと金属性の音がして転がっていった。首は人ゴミの中へ転がっていって見えなくなってしまって、あとには首のない金襴の御守殿模様の着物を着た胴体が行儀よく寝転んでいるのだ」

なぜ、これが問題になったのか。鈴木邦男は語る。
「今から見れば単なるブラック・ユーモアだと思うけど、当時の右翼の人たちにとってみたら、ブラック・ユーモアではすまされなかったんです。なぜかというと、圧倒的に左翼が強かったから。当時の右翼は左翼を過大評価している面があって、六〇年安保危機で革命前夜だと認識していた。なんとかしてこの国を共産革命から守らなくちゃという使命感がある中であの小説が出たから『これは近未来の小説で、彼らの計画書だ』と思ったんです」

『風流夢譚』が掲載されたのは、1960年11月発行『中央公論』12月号。翌年1月には、「赤色革命から国民を守る国民大会」と題し、中央公論社を糾弾する大集会が行われる。
集会の翌日、大日本愛国党のメンバー、17歳の小森一孝が中央公論社の嶋中社長宅に侵入し、居合わせた家政婦の丸山さんを刺殺、社長の奥さんに重傷を負わす。

被害を受けた方の中央公論だが、翌月号では、『風流夢譚』を載せたことへの「お詫び」を巻頭に載せている。
その「お詫び」も、本書で見ることができる。

テロが成功したかに見えるが、実は「女・子どもをやるのは絶対にいかん」とする三島由紀夫を始めとして、右翼の大勢の評判はよくなかった。嶋中宅や殺されたお手伝いさんの家に謝りに行った右翼もいるという。

小森は刑を終えて出てきてから、姿をくらましたままだ。それでも社会に与えた影響は山口より小森のほうが大きかった、と鈴木邦男は振り返る。
「奥さんが重傷を負い、お手伝いさんが殺されたわけで、『ほら見ろ。天皇のことに触れたら、右翼は関係ない女・子どもまで殺しに行くぞ』となってしまった。そういう恐怖がこの五十年間あったから、天皇問題でも右翼の問題でも、みんな触れないようにしようとなったわけです」

そうした呪縛は現在も続いている。解き放たれるためには、今こそテロを正面から語って行かなくてはならないだろう。

本書の中で鈴木邦男は、 山口二矢と三島由紀夫をテーマにした映画を撮る、監督・若松孝二、天皇ポルノ事件を起こしたことのあるフラメンコ舞踏家、作家の板坂剛と熱く語り合っている。

テロリズムの季節を知らない若者にも、ぜひ手に取っていただきたい一冊だ。

(FY)