ネットの機能の発達はめざましい。本名でググッても、ペンネームでやっているブログに行き着くらしい。そんなこんなで、中学生の時に相思相愛だった、初恋の女性からメールが来て会った。当時は、プラトニックラブだった。「あの時、あなたのサラサラの髪にずっと触れたいと思ってた」とか言われても、手遅れだ。オジサンになった今、髪は辛うじてあるが、「今なら思う存分触り放題だよ」と言ったって、もはや触りたくもないだろう。中学生諸君に、声を大にして言いたい。髪ぐらい、触りたいと思った時に、触りなよ!

高校を卒業してすぐに革命運動に身を投じたので、学校の同級生たちとはずっと音信不通。行方不明者扱いされてきた。
ネットで見つけ出されて、高校の同窓会にも顔を出すようになった。

若い頃に、革命とか自由とか口にした者は、どんな不遇にも耐えなくてはならない。
ずっと自分に言い聞かせてきた言葉だ。子供もなく財産もなく、この先、いったいどうなるかも分からない。それもこれも、自分の意志で行ってきた結果なのだ。

革命などという言葉に耳を貸さず、三里塚で農民が痛めつけられていても素知らぬ振り。強くなって来つつあった円を握りしめ、成田空港から海外旅行、留学に出かけていった同級生たちは今頃、さぞや幸せな家庭を築き、たんまりと財産を作り上げているだろう、と思っていた。

同窓会に参加してみたら、違った。

英語の成績のいいのをいつも自慢していた高山は、大学でドイツ語を勉強し、商社に就職してドイツで働いた。ベルリンの壁の消滅を目の当たりにするなど、それなりに面白い生活を送ったようだ。
だが、40代の半ばになって、会社というものが嫌になって、辞めてしまった。
自宅を改造してレストランを開くと言い、サラリーマンを続けている同級生たちに、「会社なんかにしがみついている奴には展望がない」などと息巻いていた。
だが、レストランの開業は頓挫し、高山はドイツ資本の会社に再就職したが、ほどなく解雇されてしまう。本人によれば、不当解雇だということだ。
先日は、近所のスーパーの面接に行ったが、採用されなかったという。

芸術系の大学に行き、資生堂に勤めたのが、工藤だ。デパートなどのメークアップブースを設計する仕事をしてきた。
結婚して家を建てたが、嫁さんに逃げられてしまった。
その後、婚活してたらしく、「今度、結婚するんだ」と言う。いつ頃知り合ったのかと聞くと、「10日前に初めて会って、4回会っている」と顔をほころばす。
そして、「これから、彼女を連れて札幌の実家に帰って、親に会わすんだ」と、同窓会の途中で帰ってしまった。
金だけはたんまりあるのだから、いたって心配だ。

人生楽して生きたいと、区役所に勤めたのが、高橋。
しかし、公務員も成果主義になり、安穏としていられなくなった。
上からも下からも、突き上げられているという。
楽して生きるが至上命題だったので、めいんどくさい恋愛はしたことなく、結婚してないどころか、童貞だ。
趣味もなく、「これから30年も40年も、何を楽しみに生きていったらいいか分からない」と嘆く。

革命も自由も口にしなかったのに、不遇なのだ。
私などは全然、不遇なほうではなかった。

声を大にして言いたい。若者よ。自分の意志で、好きな道を歩め!

(FY)