飯島愛が亡くなって、3年以上が経つ。
彼女のブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル』はウェブに残っていて、最後の書き込みに対して、いまだにコメントが付いている。その数は、6万8千件を超える。
恋の悩み、仕事の悩み、生きていく悩み。それぞれ、飯島愛に伝えることで、前に進む勇気を取り戻しているようだ。

私には、エロを主なフィールドとしていた時期がある。その頃、ことあるごとにエロ業界人は誇りを持つべきだ、と言ってきた。
20代、革命運動をやっていた時に、エロ産業は性差別の最たるもの、と刷り込まれていたから、エロは人間にとって必要なもの、という当たり前のことを、いつも自分に言い聞かせていなければならなかった、ということもある。

業界の周りの人間たちは、あまりにも誇りを持っていなかった。
「エロは嫌いだが、仕事だからやっている」という態度を取りたがるのだ。
まんじゅうは嫌いだが、仕事だからまんじゅうを作っているというまんじゅう屋が、繁盛するわけがない。
エロを蔑んでいた業界人は、今ではもう、どこかに消えていってしまった。

そんな私に対して、エロ業界人は蔑まれて当然と、著名な評論家が噛みついてきたことがある。
「職業に貴賤はなく、むしろ最下層の職業ほど本当は高貴だとする最悪の人権イデオロギストである」と、私は指弾された。
なぜここにその評論家の名を記さないかと言えば、私は彼の著作から多くを学んできており、その発言は、たまたま変調を来した結果だと思っているからだ。

評論家の私への批判は、産経新聞とSAPIOと2度あった。
SAPIOの時に、飯島愛の死が取り上げられていた。
AV女優からスターになったが、不遇の死を遂げたではないか、というのだ。

作家にだって、不遇の死を遂げた者は、何人もいる。
飯島愛という1人の人間の死を、エロ業界が蔑まれるべきものだという、傍証に使っていることに怒りを感じた。
私は、編集部に電話をして反論の掲載を要求した。
読者投稿欄しか用意できない、と言われ、その小さなスペースにぶちまけた。

飯島愛のブログにコメントを寄せているのは、ほとんどが女性だ。
AV女優からスターになった、彼女の抱えていた苦悩に、女性たちは共振しているのだ。
バラエティ番組への出演、CM、音楽CD、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』の発表まで、飯島愛の活躍は多岐にわたった。

『飯島愛 永遠の女神』(鹿砦社)は、原点であるAVでの彼女の姿を、DVDとミニ写真集で刻印している。美しい裸身を惜しげもなくさらしながら、はにかんだ笑顔を浮かべる彼女の姿は、言葉にならないメッセージで、今も勇気づけてくれる。

(FY)