東京の人は冷たいと言われるし、私自身もそう感じる。
子どもが転んだのを見た時に、手を伸ばすのをためらってしまう。
もしかしたらこの子の親は、「転んでも自分で起きなさい」としつけているかもしれず、助け起こすのはよけいな介入になってしまう、と考えてしまうからだ。

「情けは人のためならず」ということわざが、「情けをかけることは、結局はその人のためにならないのですべきではない」という意味に誤解されているということが、度々話題になる。
実際には、「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」という意味だ。

ライター仲間の山本は、池袋のアパートに20年ほど住んでいた。
大家さんの南野はライターとしての大先輩で、ライタースクールの理事である。
1階が南野の家で、2階がアパートになっている。
南野の口利きで、山本はライタースクールの講師になった。

3年前のことだった。
「俺、倒れちゃったんだ。来てくれ」
深夜0時を過ぎた頃、南野から山本に電話があった。山本は壁を乗り越えて庭に入り、窓を割って中に入った。
南野は仰向けに倒れている。喋れるが、手脚がまったくと言っていいほど動かない。背中で這って移動して、なんとか電話の子機を取ってプッシュしたと言う。
山本は、救急車を呼んだ。

頸椎が骨折して神経を圧迫している、という難しい症状。入院することになった。
しばらくは退院できそうもなく、スクールでの南野の上級科ゼミの生徒を引き受けてほしい、と言われ、山本は快諾する。

手術を2度受けて、入院先は病院からリハビリセンターに移ったが、半年ほどで退院して家に戻った。
山本は実に様々なことを行った。食事の手配。パソコンや電話機の不調を直す。医療用ベッドの搬入の立ち会い。障害者手帳の申請。ケースワーカーとの話し合い。妹に意に添わぬ遺言を書かされたとかで、その対処。ゴミの搬出。南野が昔の愛人との間に作った息子にも、会った。
あまりにも時間が取られて困ることもあったが、助けるのが当たり前だと思った。

南野は杖をついて歩けるくらいまでに回復し、スクールに復帰することになった。
山本は南野から引き受けた生徒たちに言った。
「南野先生が復帰されるので、戻りたい人は自由に戻ってくださいね」
だが生徒たちは、引き続き、山本の指導を受けることを望んだ。

快気祝いをやるということで、生徒たちが南野の家に呼ばれていることを、山本は知る。
山本は呼ばれなかった。
後で分かったが、生徒たちを自分のゼミに引き戻すためだったので、山本がいては具合が悪かったのだ。
しかし南野は理事という立場なのだから、生徒には「自分と合うと思う講師を自由に選びなさい」と言うべきではないか。
山本は南野への敬愛の気持ちをなくしたが、それでも頼まれた用事を淡々とこなした。

アパートの更新の時期がやってきて、家賃と更新料を携えて、山本は南野を訪ねた。
ありとあらゆることをこなして、快気祝いにも呼ばないのだ。
「君からは更新料は受け取れないよ」と言うのではないかと、山本は予測した。山本から受けた好意を、金で返そうとするのではないのかと……。
だが南野は、あっさりそれを受け取って、「これ、よさそうだから使いなよ」と包みを差し出した。
見るとそれは、入院中の南野に頼まれて買っていった、アカスリタオルだった。
最初から、山本の好意など、意に介していなかったのだ。

生徒も去っていき、南野のゼミは今、無くなってしまった。
山本のゼミは今、多くの生徒を抱えている。
山本は、本業のライター業でも、信頼を得て忙しい日々を送っている。

やはり「情けは人のためならず」だったのだなと思いながら、古人の言葉の深みを山本は噛みしめる。
この言葉にはやはり、厳しさもこめられている。
情けに対して、情けで報いない人には、孤独が待っているのだから。

(FY)