今、西日本の某地方で開かれている、ある殺人事件の裁判員裁判。起訴状などによれば、被告人のA氏は恋愛関係のもつれなどから、元交際相手のB子さんに恨みを抱き、その6歳の娘C子ちゃんを殺害した――というのが検察官の主張の筋書きである。これに対し、A氏は捜査段階から一貫して無実を訴え、裁判でも有罪・無罪が争われている。
この裁判を傍聴していたら、検察官がこんなことを有罪の根拠として主張していた。
「携帯電話の通話やメールの履歴、過去の交際相手、勤務先の同僚、同じアパートの住民たち……と、B子さんの人間関係をくまなく調べたが、被告人以外にB子さんに恨みを抱いているような人物は存在しなかった」
つまり検察官は、この事件の犯人が「被害女児の母親B子さんに恨みを持つ人物」であることを大前提に、犯人像に該当する人物が被告人しかいないと主張しているわけである。
この主張については、筆者はそもそも、犯人がB子さんに恨みを持つ人物だという前提が疑わしいのではないかと感じている。ここでは、その点はさておくが、この検察官の主張は何かが足りない気がしないだろうか?
そう、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)について、検察官は何ら言及していないのだ。
ミクシィにグリー、モバゲー、フェイスブック、ツイッター……インターネット上に様々なSNSが登場し、猫も杓子もSNSをやっているこのご時勢。B子さんも何かしらのSNSを通じて知り合い、SNSのメッセージ機能でのみ連絡を取り合っていた人物に恨まれていた可能性はなかったのか――。検察官は、B子さんを恨んでいた人間がA氏以外に存在しないと主張するならば、SNSについてもその程度は言及しないとダメだろう。
これはあまりに初歩的なことのようだが、筆者は過去、こんな初歩的なことが見過ごされたまま、有罪判決が確定した殺人事件の裁判に遭遇したこともある。
その事件の被害者は30代の女性会社員。被告人のD氏は事件の一週間前、仕事を通じて被害女性と知り合ったばかりの男性だ。D氏は、被害女性が殺害されたとみられる時間の直前に彼女と会っていたことなどから疑われ、殺人などの容疑で逮捕・起訴されたが、一貫して無実を訴えていた。これに対し、裁判で検察官が示した被害女性の携帯電話の通話やメールの履歴を見る限り、犯行時刻とみられる時間に彼女と接触した可能性がありそうな人物は、その直前に携帯電話で連絡を取り合っていたD氏しか見当たらなかったが……。
D氏は最高裁まで無実を訴えて争ったが、その裁判では結局、被害女性が何かしらのSNSをやっていなかったか否かは一切検証されないままだった。当然、被害女性がSNSでのみ連絡を取り合っていた人物と事件当日に接触した可能性は裁判の俎上にのりさえしなかった。それでいながら、D氏の有罪判決は確定してしまったのである。
もちろん、被害女性のSNSの使用歴を調べても、そこから別の真犯人が見つかるかはわからない。とはいえ、SNSがこれだけ普及している昨今、殺人事件の裁判でこんな初歩的なことが見過ごされ、無実を訴える被告人が有罪とされるのは釈然としないだろう。
「なんとお粗末な……」と思った人もいそうだが、岡目八目という言葉もある。いざ自分が裁判員や被告人という立場に置かれたら、こんな初歩的なことも案外気づきにくいかもしれない。あなたが今後、裁判員や被告人になる機会があり、裁判で検察官が上記のような主張をすることがあれば、ちゃんと忘れずに「SNSのことも調べたの?」と突っ込んであげよう。
(片岡健)