ある日、あなたの家の電話が鳴る。「マイホームの購入をご検討されているあなたに適した物件をご紹介させていただいています」と、さわやかに営業マンが話し出す。
あなたは問う。「私の個人情報をどこで得ましたか」と。
業者は答える。「名簿図書館」です。
いわゆる中学や高校、学術機関、サークルなどありとあらゆる名簿をかき集めて個人情報を売買している名簿図書館には、当然ながら営業を許可された法的根拠がある。

個人情報保護法ではその23条第2項で、オプトアウト、すなわち本人からの削除の申し出があった場合必ず削除することを条件として、個人情報取扱事業者が本人の同意なく個人情報を第三者に提供しても良い旨、つまり個人情報を販売しても良い旨を謳っているのだ。

具体的に見ていこう。個人情報保護法の、第23条1項では、『あらかじめ本人の同意を得ないで個人データを第三者に提供してはならない』と、原則として本人の同意が必要であるとしている。だが、第23条2項を見ると、以下のようになっている。
『個人情報取扱事業者は、第三者に提供される個人データについて本人の求めに応じて当該本人が識別される個人データの第三者への提供を停止することとしている場合であって、次に掲げる事項について、あらかじめ、本人に通知し、または、本人が容易に知りうる状態に置いているときは、前項の規定にかかわらず、当該個人データを第三者に提供することができる。
1. 第三者への提供を利用目的とすること
2. 第三者に提供される個人データの項目
3. 第三者への提供の手段または方法
4. 本人の求めに応じて当該本人が識別される個人データの第三者提供を停止すること』

つまり名簿業者は「オプトアウト」、つまり「個人情報を削除してください」という申し出に従う態勢があれば、営業してOKという風になる。
個人情報を売買してもいいのだ。
根本から論じれば、実は憲法にプライバシー保護の明文規定はない。
「プライバシーの保護」は、ここ最近語られ始めたテーマである。

さかのぼれば日本の裁判でプライバシー権が初めて認められたのは、三島由紀夫氏の小説『宴のあと』を巡る東京地裁判決(64年)だ。その根拠は個人の尊厳に関する憲法13条で、人格権の一分野とされた。
この小説は、外務大臣を務め、また戦後衆議院議員にも当選したことのある野口雄賢という男と、有名な料亭「雪後庵」の女将であり、後に野口の妻となった福沢かづという女を主人公とし、2人の結ばれた家庭、特に野口が革新党から推されて東京都知事選挙に立候補したが、選挙に惜敗したこと、その後福沢が雪後庵を再開するために野口に背き、ついに2人は離婚したことを描いた秀作だ。

「作品のモデルとされた野口が中央公論社に刊行中止を申し入れたのです。中央公論社はこれを承諾したので、三島は新潮社と結んで強引にもこれを出版した。新潮社は、それがモデル小説である旨の広告を繰り返して発売したので、原告がプライバシー権侵害を理由として、三島と新潮社に謝罪広告と損害賠償を請求したんです。被告となった三島と新潮社は、賠償のみ受け入れて、後に和解しました」(著作権管理団体職員)

今も昔も変わらない。個人情報保護法ができたと言っても、これを活用しようとするのは、権力者や有名人だ。
一般市民のプライバシーは、むしろ丸裸のままなのだ。
「まあ無理だろうな。まだ営業マンが個人情報満載の住宅地図をもって個別訪問している時代だからな」(弁護士)

こんな状況に抗って、「ペンのテロリスト」である鹿砦社では、つぎつぎと巨悪のプライバシーを暴いていくだろう。
巨悪よ! その飽食の風体をさらしてみよ、なにもかも「裸」にしてプライバシーをすべてさらしてあげよう。
さしあたっての標的、それは電気料金でたらふく贅沢三昧をする連中である。

(黒川龍一郎)