7月22日、弁護士・ジャーナリストの日隅一雄氏を偲ぶ会がしめやかに行われた。
昨年の3.11の大震災直後、東電本社の会見場は混乱を極めていた。何か記者に聞かれるたびに「確認します」「持ち帰ります」とくり返す広報課長に「あなたたちに責任があるとは言いません。これはとても大事なことなんです」と詰め寄る記者がいた。

詰めよった内容は、福島第一原発の事故で汚染水が海に流されたが、水を溜めるタンクを東電が発注したかどうか、という点だった。無表情で、マスコミ向けのコメントを淡々とキーボードに打ち込む通信社の記者たちと、断じて食い下がるフリー記者。

いいかげんにしろと野次が飛ぶ。そのフリー記者こそ、産経新聞の記者から弁護士兼ジャーナリストとなった自称「ヤメ蚊記者」の日隅一雄氏だった。上杉隆氏の横で執拗に食い下がる様子を見て、記者会見の記録をデータにすることで頭がいっぱいだった私は「ずいぶんととっぽい記者がいるな」という印象しかなかった。この時点で、私は日隅一雄氏の存在を知らない。

日隅一雄氏の存在が一躍、目に飛び込んできたのは実は書籍『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』日隅 一雄 (著), 木野 龍逸 (著) である。
日隅氏は、東電が隠したデータについて追及に追及を重ねた。その詳細な様子は、著書に譲るが、ようやく日隅氏と話ができたときに「情報は公開されるべきなんです。ヨーロッパでは、国の仕事をする企業は取引先を公開するのです。これは、あたりまえのことなんです」と強く言い放った。日隅氏は、東電が隠ぺいした、あらゆるデータは公開されるべきだと考えていた。

「東電の問題は、起きている事故を小さく見せたことです」と、ある番組のインタビューでこたえている。その様子は、偲ぶ会でもモニターで流れた。
日隅一雄氏が東京新聞の一面にて、インタビューされたことがある。このときは、反原発運動の旗手として、東電の責任を厳しく追及した内容を聞かれていた。また、原発推進の御用学者、山下俊一氏とブログで激論を繰り返した。

日隅氏は、1日に2時間しか寝なかったという。自宅には「シャワーを浴びるだけ」で、風呂にも入らず机に突っ伏して寝ていたこともしばしば。仕事とは、本来、魂を打ち込む以上、かくあるべきシロモノだと思う。とても真似できないが。

残念ながら、市民ジャーナリズムのリーダーは、もうここにはいない。
だが、日隅氏の魂は、私たちに受け継がれる。
実は私は、日隅氏にインタビューした最後のジャーナリストとなった。

インタビューの最後に、東電の高津というお客様本部長が、東電の電気料金は、家庭向けの利益が高いことについて、「企業向けは燃料費のウエイトが高く、燃料費の高騰が収益を圧迫した」などと釈明していることに、たいそうご立腹だった。

インタビューから5日後、6月12日、日隅さんは帰らぬ人となった。この日隅一雄氏の最後のインタビューは、日本の情報公開、未来の市民のあり方や、マスコミの姿勢のあるべき姿に言及している。いずれ、しかるべき場所にて発表したい。

(K)

(写真)「日隅一雄氏を偲ぶ会」にて。約400人が集まった。