「簡単にいうと、映画を作る際、もはやフィルムは過去の産物となりました。今はDSPという形式のハードディスクにデータを落とし込むやり方が主流で、あらゆる映画館はDSPに統一しようという動きがあるというのです」(インディーズ映画関係者)
映画は、その昔、8ミリ、16ミリ、32ミリなどとフィルムの種類があり、それぞれに画質の粗さや、音域の広がりが異なっていた。
約10年前だったろうか、映画会社ができたての映画を劇場に届けるとき、映画をハードディスクで記録した「DSP」を届けるのが当たり前となった。このやりかただと簡単にソフトを開けない。別便で送られてくるパスワードが必要となるからだ。
ゆえに、あらゆる映画技師は仕事を失った。DSPならば、上映スクリーンが10あろうが20あろうが、マルチスクリーンの映画館では、理論的に必要なオペレータは、ひとりでいい。ところが困ったことがある。
「たとえばビデオカメラで撮影し、パソコンで編集したデータを落とし込むのに、100万円ほどかかるのです」(中規模映画配給会社)
それまで、撮影したデータをDVD-Rに焼き付けて小さい上映館に納品していたインディーズの監督やスタッフからは「様式の統一はやめてほしい」「なんでも新しくすりゃ、いいってもんじゃない」という声が続出している。
インディーズ映画は、多くの才能を生み出してきた。古くは大林宣彦、大森一樹、森田芳光、新しくは行定勲や園子温がいる。
確かに、DSPで見るスクリーンの美しさは秀逸であり、もはやフィルムに匹敵する、もしくは超える解像度を持つと言われ、客席のどこから見ても映えるようなスグレモノだ。
「しかしDSPは上映するマシンだって高いです。つぶれる小さな映画館も出てきますよ」
(映画関係者)
という意見があれば、
「ですが、フィルムのよさも捨てがたいですね。かたくなに、DSPを拒む映画館があってもいい。いまだに、音楽をCDではなく、レコードで聴いている人もいます。必ずしもイノベーション=いいこと、ではないはず」(脚本家)
という声も。
同感である。映画界よ! グローバル化もいいが、温故知新という言葉の意味を今一度、かみしめる必要があるのでないだろうか。
(九頭龍家元)