サミット(summit)の語源は「頂上、頂き、極致、頂点」などを意味する。だから「伊勢志摩サミット」と言えば「伊勢志摩に世界に君臨する国々の指導者が集まる会議」と訳しても過大な誤りではないだろう。

この語感自体に私は嫌悪を感じる。もっともサミットの前身は更に露骨な名称を冠して恥じ入ることがなかった。1975年11月15日から、フランスで行われた会議は「第1回先進国首脳会議」と呼ばれていた。開催国であるフランスのジスカールデスタン大統領が議長を勤め、米国大統領のフォード、英国首相のウィルソン、西ドイツ首相のシュミット、イタリア首相のモロに、日本からは首相三木武夫が参加して3日間の会議が行われた。「先進国」と当たり前の様に呼ぶけれども、これはだって、かなり傲慢な名称ではないか。

翌年からはカナダも加わり、いわゆる「G7体制」による、経済を話題とする「世界支配国」の定期的会合として定着してゆくのであるが、ソビエト連邦の崩壊からロシアへの移行に伴いロシアも参加する形で「G8体制」が定着するかと思われたが、民族紛争への批判などから「伊勢志摩サミット」は「G7」とEU議長が参加して先週行われたのはご存知の通りだ。

サミットは1975年オイルショック後の経済をどう舵取りするかが表向きの話題として開催された出自から、主として政治問題よりは経済問題を重視する傾向にある。だから「帝国主義者どもによる戦争準備会議」との批判は世界中にあり、日本以外の開催国では「反新自由主義」、「反グローバリズム」を訴える市民が毎回相当激しい抗議行動を行うのが、お決まりの風景となっている。

◆誰のために、何のために行われたのか?

さて、先週行われた「伊勢志摩サミット」である。あれは一体誰の為に、そして何の為に行われたのだろうか。その理由を私が簡潔に解説しよう。

議長である安倍がぶち上げた「アベノミクス」という「経済破綻プロジェクト」の破綻隠しがその主目的である。

その一環として消費税引き上げは安倍にとっては、欠くことの出来ないシナリオだった。5%から8%への消費税増税と法人税減税が税収の低下を招くことは自明だった。消費税を導入した1989年と、消費税率3%から5%へ引き上げた1997年の翌年はいずれも税収が減っている(1998-1999年の減収は2.7兆円)。消費税を上げると必ず税収が落ち込むことは過去の統計が明確に示していた。だから私は消費税の引き上げではなく、消費税の撤廃を提言したが、私の戯言などに安倍が耳を貸すはずもない。

それだけでなく8%から10%への引き上げも、既定路線として「公約」とされていたが、「3本の矢」(自滅の愚策)や、「異次元の金融緩和」のいずれも全く効果がない。景気好転の気配はないから当然税収も落ち込む。予定通り来年4月に消費税を10%に引き上げれば、更なる消費の冷え込みと財政悪化必定だ。そこで安倍は3月に「国際金融経済分析会合」を発足させ、米国人はじめ多くの外国人経済学者に議論をさせるポーズを装った。この会合に日本人経済学者は1名しか含まれていなかった。
 
これ程情けなく、自身の「無能ぶり」を晒す猿芝居もないだろう。一国の税制、それも消費税の引き上げに限って、わざわざ外国人経済学者(その中にはノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツも含まれた)の議論により、税制運営を「教示」してもらったわけである。独立直後で行政が体をなさない国でも、形の上では一応の国際機関であるIMFに意見を求めるだろうに、あろうことか欧米経済学者の「威光」を借りて、政策の要としていた「消費税引き上げ」を延期する口実としたのだ。

そして「伊勢志摩サミット」である。政府内でも「いったい誰が言い出したのか」と騒動となる「リーマン・ショック前の状況に似ている」との安倍の大間抜け発言は、現在言い出しっぺの犯人探しで霞が関は大わらわだ。海外主要メディアはそろって、「迷惑な発言」、「経済が困難な状況にあることは間違いないがリーマン・ショックのような危機が近いうちに起こるとは思われない」と一斉に疑問と批判を投げかけている。日本の政府関係者も「実態とかけ離れた議論となり、議長国として恥ずかしい」と正直な感想を述べている。

オバマの随行で一緒に広島に出かけたところで、安倍の無能は変わらない。大手メディア幹部と定例で夕食を共にしているから、辛辣な報道は抑えられるけれども、経済指標の粉飾には限界がある。安倍の退陣は遠くないと予言しておこう。

◆警備会社と広告代理店だけが儲け、権力は〈戒厳〉予行のごとき厳戒態勢を敷く

それにしても、このように全く無益で、国際社会に何の利益ももたらさない会議の為に、わたしたちの日常生活まで、なぜ制限を受けなければならいのだ。27日に京都から大阪へ出かけた際にはJR、私鉄全ての駅でコインロッカーが使用停止になっていて、ゴミ箱も全て封鎖されていた。「テロ対策」とか「サミット開催による特別警戒中」とかあちこちでアナウンスを聞かされたけれども、要はこの国の住民を「テロリスト」の容疑者に見立てているんじゃないか。

不覚にもガムを噛みながら外出した私は、自宅を出てから目的地へ到着するまでの2時間余り、味のしなくなったガムを捨てるゴミ箱をついに見つけられなかった。過去に東京サミットが行われた1986年、1993年でもこれほどの厳戒態勢はなかった。三重県は数カ月前からサミットに合わせて国内旅行者の勧誘に力を入れていたけれども、あちこちらが「封鎖」されて、ごく一部の土産物屋や宿泊施設以外は「結局普段より売り上げが落ちていた」と多くの業者が嘆いている。

儲かったのは警備会社と大手広告代理店だけ。もっとも肩透かしを食らったのが三重県だったろう。そして電車やバスに乗れば「ただいまテロ特別警戒中です」のアナウンスは、特に首都圏ではサミットのような国際行事がなくても毎日流れているじゃないか。

毎日「警戒中」が「厳戒中」に変わることにすら、私たちは慣らされ出してはいないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。