冤罪事件を取材していると、家族の愛情が安易に過大評価されているように感じる判決に出会うことがたまにある。
たとえば、2年ほど前に関西地方の北部にある某市であった殺人事件の裁判員裁判。男性被告人の妻A子さんが証人出廷し、無罪を訴える夫にちょっと有利な証言をしたところ、判決では、「A子は、被告人の無実を信じていること、今後も被告人との婚姻関係を維持していくつもりであることを明言しており(略)被告人の無実が証明されることを期待しているA子の供述の信用性には慎重な検討を要する」と言われた上、確たる根拠もなく証言の信用性をあっさり否定されていた。要するに裁判官や裁判員は、A子さんが夫を無罪にするために法廷で嘘をついていると考えたのだ。これなどは、まさに家族の愛情が安易に過大評価された判決の典型例だった。
というのも、この事件の場合、被害者の女性は被告人の不倫相手で、被告人は痴情のもつれから被害女性を殺害したような筋書きで起訴されていた。そんな事件の構図のため、この事件はマスコミでも大きく、センセーショナルに報じられていた。そして、被告人本人はもとより、その家族も世間の誹謗中傷にさらされ、とくに子どもたちはずいぶんひどいイジメに遭ったという。この状況のもと、A子さんが裁判で嘘の証言をしてまで、不倫をしていた夫をかばおうと考えるだろうか……法廷で嘘をつけば、偽証罪に問われるリスクもあるのに。
大体、A子さんが嘘をついてまで夫をかばおうとするなら、「被告人(夫)の無実を信じていること」や「今後も被告人(夫)との婚姻関係を維持していくつもりであること」を正直に明言するだろうか。夫の有利になるような嘘をつくなら、そういうことは隠したほうが良いと普通の人間は気づくだろう。
筆者は過去、無実を訴える被告人の家族に色々会ってきた。その中には、身内のひいき目で被告人のことを過大に良く言う人や、どこから見ても真っ黒な被告人を何の根拠もなくシロだと思い込んでいる家族もいないわけではなかった。しかし、少なくとも裁判で嘘をついてまで、家族である被告人を無罪にしようとした人に会ったことはない。
「自分が裁判に出て、何か有利なことを言ってあげられたらいいのだけど、事件のことは何もわからないので……」。筆者の知る限り、そんなことを言って悔しそうにしているというのが、どちらかというと、無罪を訴えている被告人の家族にありがちなパターンだ。家族を無罪にするために裁判で嘘をつく人がゼロだとは思わないし、実際にそういう人がいるという話も聞くが、少数であることは経験上、間違いないと思う。おそらく、一般の人間にとって裁判で嘘をつくというのはそんなに簡単なことではないのだ。
また、家族である被告人のことを無実と信じながら、収容先に面会に行くこともほとんどなく、被告人と距離を置いて生活している人たちもいる。たとえ家族とはいえ、自分の人生を犠牲にしてまで献身できないという当然の現実がここにある。
そういう意味では、冒頭のA子さんの証言を安易に「夫を無罪にしたいがための嘘」と決めつけた裁判官や裁判員たちは、想像力の貧しい人たちなのだろうとも思う。彼らのような人たちは一度、こんな自問自答をしてみればいいのだ。
もしも自分の家族の誰かが刑事裁判の被告人になったとして、自分は裁判で嘘をついてまで、無罪にしようとするだろうか? と。
(片岡健)