ここ数年、マスコミ上やインターネット上で「検察神話」とか「特捜神話」なるものが崩壊したという話をしている人をよく見かけるようになった。なんでも、「巨悪を退治する正義の味方」という検察全般、もしくは検察特捜部に対する従来のイメージは、実はマスコミが作り上げた虚像だったという。そして、その虚像が大阪地検特捜部のフロッピーディスク改竄事件や陸山会事件での虚偽捜査報告書作成問題をはじめとする相次ぐ検察不祥事により崩壊してしまったのだとか。
筆者はこういう言説を聞くたび、検察に関するそんな「神話」がそもそも、どこで、どんな人たちによって語り継がれていたのか? と疑問に感じてしまう。少なくとも筆者がこれまでの人生でつきあってきた人間たちの中には、「検察神話」や「特捜神話」がどうこう以前の問題として、検察という組織自体を知らない人間も決して少なくないからだ。
「検察って何?」
検察がネガティブな話題で世間を騒がすことが急増したここ数年来、筆者は周囲の人間に何度かそんなふうに聞かれたことがある。そういう人たちに対しては一応、「検察というのは、警察が捕まえた容疑者を裁判にかけるかどうか決めたり、その容疑者が本当に犯人だということを裁判で証明したりする役目の人たちだ」などと説明するのだが、大体は「ふぅん」とわかったような、わからないような反応が返ってくるだけだ。彼らは話の流れで「検察って何?」と筆者に聞いてはみたものの、結局、検察に興味など無いのである。
個々の事件を取材していて出会う人たちの中にも、「刑事」と「検事」の区別すらつかない人はいまだに少なくない。以前取材した冤罪被害者の女性は、警察の取り調べ中に「罪を認めたほうが早く家に帰れる(=懲役が短くなる)」と言われたことが自白に追い込まれた要因の1つになったように述べていた。彼女は求刑をするのが警察ではなく、検察だということを知らなかったのである。
とまあ、筆者の周囲の状況はこんな感じだから、しみじみと疑問に思うのだ。「検察神話」とか「特捜神話」などというものが一体どこで、どういう人たちによって語り継がれてきた神話なのか、と。
そういう神話が崩壊したと言っている人たちの話に耳を傾けてみると、そういう神話はどうやら、検察がロッキード事件やリクルート事件の捜査で大活躍したことにより出来上がった神話のようである。してみると、自分の生活とは直接的に関係のないことでも、新聞でトップを飾るようなニュースについては何でも一応関心を持つような層の人たちの間で語り継がれてきた神話ということなのか・・・・・・と思うのだが、さて、実際はどうなのだろうか?
過去の記憶をたどってみても、ロッキード事件やリクルート事件があったころに「検察ってすごいな」とか「巨悪を退治する正義の味方だな」などと検察を賞賛している人は、筆者の周囲には誰一人いなかったような気がするのだが。
「検察神話」や「特捜神話」なるものが崩壊したと言っている人たちが自ら、この神話がどこで、どういう人たちによって語り継がれてきたものなのかを説明してくれるといいのだが、彼らは単に「崩壊した」「崩壊した」と言うばかり。そのため、筆者はいつまでも悶々として仕方ないのである。
(片岡健)
★写真は、フロッピーディスク改竄事件の舞台となった大阪地検特捜部がある大阪中之島合同庁舎