携帯電話を初めて肉眼で見たのは、1986年に父親が肩からラジカセのようなマシンをぶら下げて、仕事で重そうに使っていた時だ。もの珍しそうに見ていると、父親から「通信料金が高いから少しだけにしろ」と言われて、ためしに友人にかけてみたが、途切れ途切れでまったく会話にならない。
携帯電話には今「出なくてはならない」という、暗黙のルールがあるような気がしてならない。とくに私のようなフリーの立場となると「電話に出ない」ということは、「クライアントがつぎに電話をかけて出る人に仕事が行く」ということだ。
あらゆるフリーランスは「携帯に出ない」という場合、仕事を失う可能性が広がると考えたほうがいい。
1986年当時、暴論を覚悟してあえて言い切れば、携帯電話は「持っている人が自分の時間にかけるシロモノ」だった。それから26年の年月がたち、いつのまにか携帯は「相手のために待ち受けるもの」となっていったような気がする。
私もどちらかというと携帯には出ないほうだ。
もし生活時間を分析するなら、私は24時間のうち、おそらく6時間くらいは原稿をかいている。この6時間は、携帯に出る気がまったくしないどころか、携帯の存在すら忘れている。私にとって「原稿を書く」ということは、「外界を遮断する」ことに等しい。
このことがわかっているならいいが「まったくさあ、探したぜ。電話に出てくれよ」と事情がわからないクライアントは平気で言う。
「電話に出ない」くらいで仕事をとりあげるクライアントなどクソ食らえだ。
話がそれた。携帯電話に「出なくてはいけない」というルールについて掘り下げる。
淵源をたどれば携帯は、第二次世界大戦時、モトローラ社が小型無線機を使ってやりとりをしたマシンが原型となっている。そうして試作機を作っては改良していった。
携帯電話は、1960年代になると、両手で持ちながら会話できる程度まで小さくできた。
1970年代になると頑張れば片手で持てる程度の大きさまで小型化した。1970年に大阪で開催された日本万国博覧会にワイヤレスホンとして出展された。これが今で言うコードレスフォンである。
「ビジネスとして成立しはじめたのは、1980年代でしたが、この頃は固定電話機と比較すると導入価格、通信費用はものすごくバカ高くて、数十倍でした。、また通信エリアも都市部に限られていました」(通信会社)
1990年代になると普及が進み、本体に液晶ディスプレイが搭載され始めた。1990年代半ばには通信方式がアナログからデジタルへと移行し、着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディや、ポケットベルと連帯したメッセージサービスが使用できるようになった。1990年代後半にはインターネット網への接続が可能となり、通信速度が向上し、画像やJavaを使用したゲームなどの利用が可能となる。
「携帯にゲームや天気予報などの情報が搭載されるようになり、携帯はいつでもみんなが《情報ツール》として“常に見ている”ことが常識となったのです。ですから、携帯に出ない人が変人がられるようになるのは無理からぬことです」(情報通信社社員)
確かに、電車の中ではスマホをいじっている通勤客ばかり。ファミレスでは、デートで向かい合っているのに、男女はお互いにスマホをいじっている。これでは、スマホはもうひとりの家族だ。私には、カップルがいてお互いにスマホをいじっている光景は、子供をあやしているように見える。だが思い直せば単なる通信機器だ。
「離婚協議している夫婦がいて、奥さんが『私の相手をしなくてスマホのSNSで知り合った人とばかりメールしている。スマホに旦那をとられたようだ』と、嘆いたケースがあったが、これとて冗談じゃない。そのうち、スマホでテレビ会議などで仕事の打ち合わせをするようになったら、ますます人と話をしなくなるでしょうね。まちがいありません」
結論する。すべての携帯ユーザーよ。携帯機器を週に一度は捨てて街へ出よう。携帯はあなたを縛るものではなく、あなたが自由に快適に暮らせるツールだったはずである。
もし、携帯がつながらなくても、「人間関係としてさまざまな人が心配してくれた」なら、あなたの人生は上々である。
(TK)