元妻を殺害したとして起訴され、「疑惑の男」として全米の注目を集めたドリュー・ピーターソンというイリノイ州の元警察官が今月初め、州の裁判所の陪審団に有罪の評決を下されたというニュースが日本でもテレビなどで報じられて話題になった。報道によると、ピーターソン本人がテレビに出て無実を訴えるなどしたことから、事件は劇場化。亡くなった元妻が生前、ピーターソンにナイフを突きつけられたことなどを訴えていたと知人らが証言した「伝聞証拠」だけで有罪の評決が下されたことも議論を呼んでいるとか。
このニュースに触れ、筆者は以前取材した、ある冤罪事件のことを思い出した。
この事件で冤罪に貶められた人の名は、渡邉雄一郎さん(現在37)という。渡邉さんは2009年9月、東京都大田区南馬込の自宅で母親Y子さん(当時60)を焼き殺すなどしたとして逮捕・起訴され、一貫して無実を訴えながら、昨年3月に東京地裁の裁判員裁判で懲役16年の判決を言い渡された。その後、最高裁まで無罪を求めて争ったが、今年5月に有罪が確定。現在は長野刑務所で服役生活を送っている。
この渡邉さんも冒頭の「疑惑の男」同様、「伝聞証拠」だけで有罪とされた人だった。しかも、その過程はかなりひどかった。渡邉さんは本当は、母を殺害したのではなく、母の命を助けようとして大やけどを負った人だった。それが逆に「母親殺し」の濡れ衣を着せられてしまったのだ。
コトの顛末はこうだ。渡邉さんは元々、両親と姉がいる4人家族の長男だったが、事件が起きた日の未明、闘病中だった父のOさんが亡くなった。そして夕方、渡邉さんは自宅1階の廊下で母のY子さんが火だるまになっているのを発見。咄嗟にY子さんに覆い被さって火を消したが、Y子さんは搬送先の病院で亡くなり、渡邉さんも3カ月以上入院する大やけどを負った。ところが、事件から半年を経て、命がけで母を助けようとした渡邉さんは、母を殺害するなどしたとして殺人などの容疑で逮捕・起訴されたのだ。
裁判では色々な争点があったが、渡邉さんが有罪とされた根拠は結局、伝聞証拠だけだった。事件直後に瀕死の状態のY子さんが犯人は息子だと訴えるようなことを言っていたと救急隊員や医師が証言。また、事件直後に同じく瀕死の状態だった渡邉さん本人も自分が犯人だと自白するようなことを言っていたと救急隊員らが証言したのだ。
しかし、彼らの証言は仮に信用できるとしても、以下のようにどうとでも解釈できる内容に過ぎなかった。
「Y子さんは『灯油を部屋と自分にまいた』と言っていた。自分とは息子のことか? と聞いたら、頷いた」(Y子さんを病院に搬送した救急隊員)
「被告人は、『死のうとした。廊下に灯油をまいて火をつけた』と言っていた」(渡邉さんを病院に搬送した救急隊員)
これらの証言は、たとえばY子さんが焼身自殺を図ったというのが事件の真相で、そのことをY子さんや渡邉さんが瀕死の状態の中で訴えていたことを示していると解釈しても何らおかしくない内容だろう。そして実際、Y子さんは以前から、引きこもり状態だった長女S子さんの暴力などに悩んでいた。また、Y子さんは夫Oさんの闘病中、夫亡き後に娘と一緒に暮らしていくことを不安に思うような発言もしていた。つまり、Y子さんが夫の後を追うように自殺しても何らおかしくないと示す事実もそろっていたのだ。
にも関わらず、渡邉さんはこれらの伝聞証拠だけで有罪とされた。しかも、確定判決(一審判決)で認定された渡邉さんの犯行ストーリーは以下のように非常に不可思議なものだった。
「被告人は、殺意をもって、自分の着衣に点火して被害者に抱きつくか、または、被害者の着衣に点火して被害者に抱きつく方法により、被害者を全身熱傷により死亡させた」
渡邉さんが大やけどをした理由については、「燃える母を助けようと抱きついたため」と考えれば説明がつくのに、裁判官や裁判員は渡邉さんを有罪とした。彼らはそのため、渡邉さんがこんな自爆行為のような不可思議な犯行に及んだという話を認定する羽目になったのだ。このことだけでも、この事件が冤罪だと気づける人は多いだろう。
筆者はこの渡邉さんが東京拘置所に勾留されていたころ、何度か面会したが、気さくな性格の好人物だった。彼を無実と信じて支援する人も多い。今後、再審請求することになるだろうが、「裁判員裁判で生まれた、ひどい冤罪事件」として有名になる可能性のある事件だ。その行方に少しでも多くの人に注目してもらいたい。
(片岡健)
★写真は、渡邉さんが燃える母を助けようと抱きついて大やけどをした自宅1階の廊下