週末になると田舎のバスは夜9時台に最終が出てしまう。気候が良ければ自宅まで徒歩一時間ほどの距離だが、雨天、しかもかなり激しく道路一面に飛沫が上がっていたのでタクシーに乗った。
道は空いている。国道と交差する信号は赤だったが私の乗るタクシー以外に同じ方向へ向かう車輌は見当たらない。
運転手さんと世間話をしながら、道幅がやや広くなる見通しのきく直接に差し掛かった時だ。100メートルほど前方から大型トラックが車体を揺らし道路左右のガードレールにぶつけ、明らかにコントロールを失いながら近づいて来た。
「うわぁ!」大声を挙げたのは運転手さんだった。道路は片側二車線あるがガードレールが敷設されているから蛇行しながら迫り来るトラックから車体を逃がす場所は無い。
至近にトラックの車体が迫った時、約15年ぶりにあの体験が蘇った。
あの時私は三車線ある国道で信号待ちをしていた。私の前にはワゴン車が停止していて、三車線の真ん中に止まっている私の車の左右も、信号待ちの車が例を成していた。
停止した時の癖で私はバックミラーに視線を向けた。後ろから近づいて来る自家用車はスピードを落とす気配がない。時速は40から50キロほどだろうか、私の車との距離が50メートル以下に接近した時、運転席から飛び出すべきか、と頭をよぎったが、もう間に合うまい。衝突を覚悟し頭を前に向け、両手を緩やかにハンドルに添え衝撃に備えた。
直後後ろから凄まじい音を伴った未経験のGを受けた。予期していたから頭をフロントガラスにはぶつけることはなかったが、相当の勢いで衝突された私の車は大破し、前に停止していたワゴンにもぶつかり、ワゴンは交差点の中央付近まで飛ばされて行った。
私が先日タクシーの中で忘れかけていた「あの」体感を経験したのは背後から迫る自家用車の衝突が不可避だと覚悟してから、実際にぶつかられるまでの間、せいぜい1、2秒の間だった。頭の中で鮮明に浮かび上がったのは幼少期からの記憶の復元だった。全てがカラフルで静止した写真かスライドの様な記憶のコマ送り。少なくとも20を超える、好ましい記憶の数々が瞬間頭を巡った。その中には初めて思い出す、だが確実に体験していた静止画もあった。
背後からの自家用車に衝突される、と覚悟した時、自覚的に恐怖感はなかった。怪我は覚悟したが「死ぬ」とは微塵も考えなかった。
意識的な思考とは別に、脳はその状況に違う判断を下し「コマ送り」が生じたのだろうか。忌の際に「生涯が走馬灯のように蘇った」との説話は何度か目にしたことがあったが、あの「コマ送り」は多分それらと同様の現象だろうと思っている。
そしてタクシーの後部座席に座った私の頭の中では、迫り来るトラックを目前に再び「コマ送り」が展開された。前回同様幼少期からの細やかながら好ましい記憶の「コマ送り」に、今回は別の像が重なっている。それは私の記憶にある経験ではない。どこかで見たことのあるような、初老の男性が過ごした日常の数々だ。
数秒間だが、確かに歩んで来た私の人生の「コマ送り」と、見知らぬ初老男性の愉快とは言い難い「コマ送り」が同時に写し出される。脳内は混乱しそうなものを、何故かしら二つの鮮明に重なる「コマ送り」は混乱も、互いを邪魔することもなく流れて行った。
トラックはタクシーの10メートルほど前で、ガードレールを乗り越え田んぼに突っ込み横倒しになっていた。
運転手さんが「死ぬと思うた!お客さん、ね!」と興奮覚めやらない大声で語りかけて来た。私は「あ、あダメかな」とは感じたがイコール「死」を感じた訳ではなかった。
しかし「コマ送り」は発生したのだ。あれは脳が死を予知した時だけに現れるはずだ。まあそれはよい。それにしてもあの初老男性の愉快ならざる日常の断片は何なのだ。
はっと、なり瞬間呼吸が乱れた。あれは未来の私ではないのか。忌の際に(仮にそうであったとすれば)どうして、あるはずのない未来の「コマ送り」が脳に映写されたのだろうか。初老男性の身の上に起こった出来事を私は鮮明に記憶している。
疲れた。衝突寸前の危機によるショックではなく、あの二重の「コマ送り」に。
運転手さんには「悪いけど警察や救急は運転手さんが手配してください。私はここから歩いて帰る。私がハンドルを握っていた訳じゃない。トラックの自損事故だから証言の必要もないでしょう」と告げ徒歩で帰宅した。
こんな経験読者諸氏にはないだろうか。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。