10月8日の京都新聞朝刊一面は、ある意味壮観であった。トップに「東電再建 他電力と提携―改革委初会合 廃炉支援へ検討―」の見出し。リードでは「経済産業省は5日、東京電力ホールディングスの経営問題の決着を目指す有識者による『東電改革・1F(福島第一原発)問題委員会』の初会合を開き、経営改革と福島第一原発の廃炉費用支援の本格的検討に着手した。再建には原発や送配電事業で他の地域の大手電力との提携が不可欠との方向性を示し、収益改善には柏崎刈羽原発の再稼働が焦点になるとした。支援費用が増大して電気料金に上乗せさせられ、国民負担となる懸念がある」そうだ。
◆黒字決算で政府に12兆円支援を要請する犯罪企業・東京電力
まず指摘したい。何故に犯罪企業「東京電力」の経営改善を経産省が慮ってやらなければならないのだ。経営などという話をしている場合か。国は廃炉と除染で東電支援に約9兆円援助の枠組みを既に作っているが(時事通信2016年7月28日付)、それでは足らずに「さらに3兆余分に援助してくれ」と駄々をこねているのが東電だ。
しかも、東電は単年度では黒字決算を出しているというのだから、この収支はどう考えればいいのだ。複雑に考える必要はない。「東電の経営改善」などと誤った目標を設定するから議論が間違うのだ。東電の総資産を処分し、それでも足りない分は現役・退職した元役員から私有財産を没収し、さらに不足すれば歴代の経済産業大臣、文部科学大臣さらには、旧科学技術庁長官とそれぞれ省庁の事務次官経験者の資材も没収するのだ。
なにゆえ、被害者である国民が犯罪企業の再建に頭をひねり、血税をつぎ込む必要があるのだ。税金を払っている人の属性は、東電と関係がある、無しに関わらず、またどの地域に居住しているかも関係ない。法人税からか、所得税からか、消費税から捻出されるのか内訳なんか分かりはしない(もっとも最近の国家予算の構成を鑑みればその大半は国債に依拠していると考えるのが妥当だろう)。
◆「東電改革は福島復興の基礎」ではない
それにしても原発を4機爆発させておいて、どうして国から9兆円も援助がもらえるのか。非常に単純だがこんな例が他にあるだろうか。改革委の委員長伊藤邦雄一橋大学大学院特任教授は「東電改革は福島復興の基礎であり、電力改革のさきがけとなる」と述べたそうだ。何をとぼけたことを言っているのだ。東電は精算させるべきだ。そしてその資産を全て被災者の保障に宛て、東電社員は全員福島に移住させ、現場で作業員として、基準線量ギリギリまで廃炉作業に従事させるべきだ。
この日の会合のポイントとして、
・原子力や送配部門での大手電力との提携
・再稼働を目指している柏崎刈羽原発(新潟県)の運営の在り方の見直し
・電気料金に廃炉費用を上乗せし国民が負担する案を検討
とまとめがある。一々反論するのも馬鹿らしくなるが、「有識者」どもは本気でこんなことを議論している。「有識者」、「知識人」、「専門家」という肩書は全て疑ってかからなければない。悲しくも言葉が内容を裏切る時代を象徴した、笑うに笑えない悲喜劇だ。そしてこの会合にはオブザーバーとして東電の広瀬社長も出席している。面の皮が鋼鉄のようでなければ東電の社長は勤まらないようだが、広瀬の頭の中はどうなっているのだろう。
冷静に計算しても、東電がこれから存続し続ける可能性はない。何故ならば今議論されているのは当面必要な(それにしても途方もなく巨額だ)金の算段だけだが、廃炉作業はこの先人類的な尺度で言えばほぼ「永遠」に続くからだ。その前に国債を擦りまくり、残高が遂に1千兆円を超え(赤ちゃんからお年寄りまで一人当たり826万円)たこの国の財政は早晩破綻する。デフォルトは間もなくやってくる。そうなれば「国」の形は今のままで残りはしない。「有識者」と呼ばれる愚者どもの議論に騙されてはならない。
◆行政は「事故が起きたら」という犯罪的前提に何故こだわるのか?
その記事の横には「『美浜事故』ならセシウム汚染は──県予測 琵琶湖の魚基準値1.65倍」と地方らしい視点からの視野の狭い報告が掲載されている。再稼働させてはならない老朽原発「美浜原発」が事故を起こしたら琵琶湖はどの位汚染されるか。その設問自体、思考が劣化し尽した役人の愚にもつかない馬鹿げた作業だという認識がこの試算を伝える京都新聞の記者にはないようだ。
行政は「事故が起きたら」という犯罪的前提に何故こだわるのだろうか。この記事の下には図ったように「美浜3号機審査合格 稼働は相当先 規制委員長見通し」の記事が下支えをしている。紙面構成を考えた上でのことであろうが、この日の京都新聞一面がトータルで伝えてくれるのは、「こと原発問題に関する限り、この国のエスタブリッシュメントや、行政、報道に知性はない」という現実だ。
どれほどの破綻に直面しようと、確実な破局が目の前にあろうと、少し賢い小学生なら騙せない程度の虚構で突っ走ろうとする。その姿は第二次大戦中から敗戦に至るまで、全く理性を失い「神国日本」を信じ(信じさせられ)た、あの光景と二重写しのように思える。
理性無き時代、知性無き時代は益々加速している。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。