オウム事件、北朝鮮の金賢実家直撃、林眞須美や統一教会を追跡したジャーナリストの大林高士氏が5月14日に急逝した。過日、「偲ぶ会」が開催され、生前の話題に華が咲いた。
僕もデータマンとして何度か組んだことがある大林高士氏は、あらゆる意味で他のジャーナリストと異質だった。
週刊誌で組んだことがあるが、ネタ元を握ると、その人なつこさで告白者を抱え込み、他社の記者がおいそれとは接触できない信頼関係を結んだ。
「罪を憎んで人を憎まず」の精神で、オウムの上祐をはじめとする幹部インタビューを独占、ジャーナリストではただひとり、麻原の単独インタビューに成功し、オウム通としてテレビにも多数出演した。
絶頂時には年収が3000万円を超え、4人もデータマンを抱えた。
のちに『僕はパパを殺すことに決めた – 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』(講談社、2007年)で話題となる女性ジャーナリスト、草薙厚子氏も一時期、大林氏の事務所に在籍したという。多くのアシスタントがジャーナリストとして有名になっていったし、本人も政治家や芸能人、ブローカーからデパート外商、風俗店の大物オーナーなどおおいなる情報網を構築したが、週刊誌が斜陽となるに従い,徐々に仕事が減っていった。
「わしはビジネスやらしたら、うまいでえ」と豪語している通り、画商や英会話教材のセールス、アパレル、鯉の養殖などさまざまなビジネスに手を出した。
経験するかぎり、ネタがもっとも入るのは、実は「ビジネスマンまわり」からである。決して事件屋からではない。
普通に働いている人たちがふと漏らす、企業や財界、政界でのこぼれ話。それこそが「ネタの泉」である。
話題となった『サムライと愚か者暗闘 オリンパスの事件』(山口義正著/講談社)も山口氏がオリンパスに勤務する友人と山登りしているとき「うちの会社、バカなことやっているだ…」ともらしたひと言がきっかけである。
友人は続ける。「売上高がニ億~三億しかない会社を、三○○億円近くも出して買ってんだ。今は 売上げも小さいけど、将来大きな利益を生むようになるからだって。バカだろ?」と。オリンパスは粉飾決算で当時の社長や幹部たちが起訴されたが詳細はここでは省く。
大林氏は、ジャーナリストでありながら、並行してビジネスも手広くやっていたが「ネタのため」だったと思う。実際、某デパートの金持ち相手の外商をしていた週刊誌記者を知っているが、デパート人脈で政財界から多数のネタを仕入れていた。
ネタとは「ください」と歩き回ることではない。「立場」と「動き」で情報網に引っかかるのである。
大林氏の話に戻せば、氏はネタの宝庫だった。芸能、政治、少年犯罪から詐欺、海外の要人などなんでもスクープにした。行方不明になっていた、人気絶頂の宮沢りえの父親をオランダまで取材費200万円もかけて追跡し、ついに「週刊現代」でスッパ抜いた。おそるべき胆力だ。
週刊誌に署名で書いた記事はゆうに500本を越える。まさしく怪物だ。
ただ、大林氏のようなトップ屋は、ネットの波に追いやられたと思う。
情報をつかんだら、リアルタイムでニュースが出ている。
トップ屋が,ネットの話の裏をとっている。今の週刊誌を見ていると変な時代になったな、と思う。
大林氏は晩年は新潟・栃尾にこもって歴史小説を書いていた。遺稿が山ほど残っている。
出版されることはなかったが、いつか、スポットライトがそれらの原稿に当たるだろう。
性格はアバウトだったが、調査力は超一流だった。
豪腕ジャーナリスト、大林氏のご冥福を祈りたい。
(TK)
(写真クレジット)
▲大林高士氏。(撮影/星野陽平)