直木賞受賞作家でテレビ番組の司会やコメンテーターとしても活躍した藤本義一が10月30日午後10時18分、兵庫県西宮市内の病院で死去した。79歳だった。藤本さんの訃報を受け、落語家の桂文枝が10月31日、「低い声で話す先生にもう一度会いたかったです」とコメントを発表した。

この間お伝えしているように、『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(鹿砦社)を取り上げた高校生向けの進路情報番組『ラジオキャンパス』が、そのことによって番組ごと打ち切りになる、という事態がFM熊本で起きた。FM秋田とFM新潟では、その部分のみが音楽に差し替えられた。

藤本義一は、原子力マフィアにも屈しない、真の自由人であったことを思いおこす。
『タブーなき原発事故調書』でインタビューに応じてくださった広瀬隆は、『原発の闇を暴く』(集英社新書)で、次のようなエピソードを紹介している。

1988年頃、藤本さんが司会をしていた「11PM」に、広瀬さんは呼ばれた。「生番組で全部話せないのなら出ません」と広瀬さんが言うと、「全部話していい」と藤本さん。
実際に「11PM」で、広瀬氏は原発の危険性を語った。
ところが、コマーシャル休憩で二人が控え室にいると、営業部の者が入ってきた。
「こんな内容では困る」と、ワーッと藤本氏に文句を言う。
関西電力から、営業部に抗議が入ったのだ。

「本当のことを言って何が悪い」
藤本さんは、営業部の者を一喝して追い返した。
引き続き、最初の予定通り、二人は原発の危険性を語り合った。

「藤本義一という人はたいしたものだと思いました。それがジャーナリストだと思うのですよ」
広瀬氏は、そう記している。

『タブーなき原発事故調書』を番組で取り上げた、納谷正基氏もまた、真の教育者である。FM仙台と青森、岩手、山形、琉球放送のAM各局では、改変されずに放送されている。

藤本さんは大阪府立大在学中から放送作家として活躍し、卒業後は宝塚映画撮影所、大映で脚本を担当した。フリーになってからは映画やテレビ、舞台の脚本を手がけるかたわら、65年から日本テレビ系列で深夜に放送された番組「11PM」の司会者を務め、25年にわたる出演で知名度を高めた。作家としても活躍し、69年には「ちりめんじゃこ」で初めて直木賞候補となり、74年に4度目の候補作「鬼の詩」で直木賞を受賞した。

藤本氏の印象が残るのは、やはりテレビ番組「11PM」である。文学からエロス、ギャンブル、美術や政治や経済などの世相まで縦横無尽に取り扱う才能は、やはり特筆ものだった。

「番組中では、スタッフをなごませようとギャグをよく連発していた。気遣いの人でした」(テレビ局関係者)
大橋巨泉との初対面では、「義一はさあ」と呼び捨てにする大橋に対して「初対面で呼び捨てはないだろう」と番組内でぶちきれたという逸話も残っている。

気骨のある関西人だった。
もうあの切り口が鋭いトークを聞くことはできない。またひとり、巨星が消えた。

(TK)