身の丈を考えれば、形にすることが出来るのか、仮にできたとしても、詰め込む火薬の量は不足がないか、不安がなかったわけではないが乗りかかった船だ、後戻りは選択肢にはなかった。
◆反原連からの絶縁状と「しばき隊」社員の解雇
2015年12月2日、一方的に反原連から絶縁状を突き付けられた鹿砦社は、くしくも翌日この界隈「しばき隊」の重鎮である元社員を解雇することになる(後から振り返れば、このタイミングは双方にとって偶然ではあるが象徴的でもあった)。理由は職務時間中に膨大な量の私的ツイッターを行っていたこと、その中には企業恫喝まがいの内容や鹿砦社を毀損する書き込みが多数含まれていたことだ。
言論を主戦場にしている出版社にとって、社員の個人的意見は最大限尊重されるべきではあるが、本務と全く無関係な「趣味」に多大な時間を割くことは、明確な就業規則違反であるので、この処分は致し方なかったが、まさかその数か月後に彼らの「最暗部」を突き付けられることになろうとは思いいたることもなかった。今日では言わずと知れた「M君リンチ事件」だ。
◆「M君リンチ事件」の衝撃
複数筋から持ち込まれた、この事件の情報を前に正直私たちは、背筋が凍る思いがした。しかし、持ち込まれた情報を精査してゆくうちに、事件はただならぬ背景を帯びていることが明らかになった。反原連との腐れ縁を、あちら側から「絶縁」してもらい、他の方はどうか知らないが、私は結果的に僥倖だったと感じていたが、それどころではない大事件に直面することになった。
今だから明かすが、当初は鹿砦社のような小規模出版社ではなく、中央のマスメディアで取り上げられるべき「事件」であろうと考えていた。なにせ被害者は「死んでもおかしくない」(医師の見解)暴力を受けており、事件発生直後に110番通報をしていれば、加害者たちは確実に現行犯逮捕されたに違いない。被害者M君の話を聞き、周辺関係者に取材を進める中で「これは鹿砦社が引き受けざるを得ない」覚悟が次第に固まってきた。取材に取り組むライターや資料を整理する人員も数人ではこなせないので、鹿砦社としては異例規模の「特別取材班」が立ち上がり、私自身も加わった。
当初はネット上での攻防も盛んであったが、「特別取材班」はあえて、ネットを戦場から除外した。その主たる理由は対抗する「しばき隊」が、事実がまったくない事柄でもでっち上げ、それを多数で盛り上げることにより、あたかも実在する(した)かのように作り上げる手法を得手としていることを早期に発見したからだ。
私たちは、一義的に文字媒体での発信を重視することに力点を置いた。しかしながら深夜に、本来漏洩するはずのない情報や、証拠などがネット上を駆け巡ることがたびたび発生した。情報を見つけた「特別取材班」のメンバーは共有のために、全取材班に速やかに連絡を行い、対策を協議する。眠れぬ夜を数多く過ごしたのが春から初夏にかけてであった。
◆7月14日『ヘイトと暴力の連鎖』発刊
7月14日『ヘイトと暴力の連鎖』を発刊。今読み返せば至らぬ点も見当たるが、初めて「M君リンチ事件」の情報に接して3か月余りで『ヘイトと暴力の連鎖』を世に出せたことについては、それなりの評価を得ることができ、初版は完売。重版するまでに注目が集まった。これほどたくさんの方々に読んでいただけた理由の一つには、同書の衝撃的な内容もさることながら、これまでまともに「しばき隊」現象に踏み込んだ書籍がほぼ皆無であったことも挙げられるだろう。
「反原連」、「しばき隊」、「SEALDs」、「C.R.A.C」などが類似した行動形態を持っていることは、なんとなく感じられていたが、それらを牛耳る中心人物が実は同一の集団であり、国会議員、大学教員、知識人、弁護士などを巻き込みながら、隠れ蓑を被った一大勢力にまで膨張していることを知り、取材班の中には恐怖感を訴える者も出た。しかし、繰り返しになるが「乗りかかった船」をおりるわけにはいかない。「M君リンチ事件」だけでも十分に大事件だが、彼らの行動様式を知れば知るほど、そのファナティックさ、唯我独尊さが危険極まりないものであることが認識された。
◆警察と結託する「下からのFascism」実践者たち
当初は目前に現れた、被害者M君の事件実態を明らかにし、その問題点を炙り出すことに焦点を置いていた特別取材班は、取材を進める中で、その取材方針は間違いではないもの、さらに広い視野でこの現象をとらえる必要性を感じはじめた。
彼らは「反差別」、「反安保法制」、「難民歓迎」、「反原発」、「マイノリティー擁護」、「沖縄基地反対」と一見耳障りの良い主張を展開してはいるけれども、その現場では警察と結託し、彼らと主張の異なる人々を「こいつら逮捕してくださいよ!」と機動隊に懇願する本質を有していた。これは少なくとも「市民運動」では絶対に許されない、過去の歴史にも恐らくない破廉恥な行為だ。そして実際に逮捕者が出ると彼らは拍手をして「お巡りさんありがとう!」と声を挙げる。
なんだこいつら!! どこが「Anti-Fascism」なんだ。逆だろう。彼らこそ誰に命令されることもなく、抗議行動参加者を「意見が違う」というだけで警察に差し出す「下からのFascism」実践者ではないか。「民間Fascism」と言い換えてもいいだろう。そうであるから彼らの行動は《Fascism》が必ず包含する「排除主義」、「排外主義」に陥っていくことは必然であり、その犠牲者としてM君は苛烈なリンチ被害を受けることになったのだ。
◆「M君リンチ事件」の隠蔽に関わった多数の著名人
『ヘイトと暴力の連鎖』発刊後、鹿砦社には多様な情報が寄せられるようになった。そして、手持ち資料の中に超ド級の資料も発見される。元社員が解雇に際して、おそらく必死の思いで抹消を試みたと思われる、「しばき隊」中心人物たちとの間で交わした膨大な量のメールだ。
その一部を目にした社長松岡の怒りは察して余りある。「M君リンチ事件」の隠蔽と正当化を図る「説明テンプレ」や誰がどの人間にそれを説明するか、の役割分担まで詳細に割り振られた「声掛けリスト」はこれ以上ない「組織的隠蔽と正当化」を示す証拠として、彼らの悪辣な行為を雄弁に証明している。
有田芳生参議院議員にはじまり、安田浩一、西岡研介といった有名ジャーナリストや複数弁護士、大和証券部長で身分がばれた人物まで、数多くの主要人物の名前が収められたこのリストを目にしたとき、取材班一同は「やはり…… しかし、まさかここまで」と、呆れかえったものだ。
◆11月17日『反差別と暴力の正体』を発刊
「徹底的に洗え!」松岡の指示のもと、取材班は40名(団体含む)へ質問状を送付し、主として「M君リンチ事件」への見解を伺った。まともな回答を返してくれたのは、『週刊金曜日』発行人の北村肇氏と『人民新聞』の山田洋一氏の二人だけだった。盛り込みたい証拠や情報は次から次へと現れる。しかし紙面の限界も考えなければならい。寺澤有氏は独自取材で駆け回って頂き限られた時間でほぼやれることはやり尽くし11月17日書店に並んだ『反差別と暴力の正体』は『ヘイトと暴力の連鎖』にも増して、大きな衝撃を呼んでいる。
その間にM君はツイッターで彼の名前と所属大学を明かし、幾度も誹謗中傷を繰り返した野間易通氏を5月24日名誉毀損で、7月4日李信恵氏をはじめ、エル金、凡(ともにツイッターアカウント名)、伊藤大介、松本英一の5氏に対して損害賠償の提訴を大阪地裁に行った。2つの裁判ともこれまでに複数回の期日が開かれ、対野間氏裁判は次回2月3日で結審する模様だ。
◆疾風怒濤は2017年も続く
疾風怒濤で1年が過ぎ去った感がある。まさか2016年鹿砦社がエネルギーを割く対象が「彼ら」になろうとは予想だにしなかったし、その結果一部とはいえ社会から強い注目を浴びることになろうとなど望んではいなかった。2016年鹿砦社に与えられたミッションの1つは、期せずしてやってきた「M君リンチ事件」と正面から取り組み、「下からのFascism」をけん引する勢力との全面対決だった。
2冊を世に出し、特別取材班は一息ついている。しかし一息つきながらも年末年始をゆっくりと過ごせそうにない。なぜならば『反差別と暴力の正体』を超える重大情報の山の解析に余念がないからだ。「次は死者が出ますよ」M君の言葉を現実のものにしないために資料の山との格闘は当分終わりそうにない。