テレビや新聞で冤罪が話題になる機会が増えているが、全国各地には「知られざる冤罪」がまだまだ数多くある。1月19日、広島高裁松江支部で控訴審の第1回公判があり、即日結審した「米子ラブホテル支配人殺害事件」もその1つだ。被告人の石田美実氏(59)に対する判決は3月27日に宣告されるが、少しでも多くの人に注目して欲しい事件だ。
◆捜査段階から胡散臭かった
事件の舞台は、山陰地方の中心都市である鳥取県米子市。2009年9月29日夜10時過ぎ、同市郊外にあるラブホテル「ぴーかんぱりぱり」の事務所で支配人の男性(当時54)が頭から血を流して倒れているのを客室係の女性が発見。支配人は病院に搬送されたが、頭部を激しく攻撃されていたほか、ヒモのようなもので首を絞められていた。そして一度も意識が戻らないまま、約6年に及ぶ入院生活を送り、2015年9月27日に息を引き取ったのだった。
警察の調べでは、現場の事務所では、金庫の中などの金が事件前より減っており、犯人は支配人の首を絞める際、事務所にあった電話線かLANケーブルを使ったと推定された。警察は支配人が事務所に入った際、金目的で侵入していた犯人に襲われたとみて、捜査を展開。そしてこのホテルで店長をしていた石田さんを逮捕するのだが、それは事件から4年半も経過してからのことだった。
しかも当初の逮捕容疑は、「申込書に虚偽の記載をし、クレジットカードをつくった」という別件の詐欺の容疑。石田さんはその後、支配人に対する殺人未遂の容疑でも逮捕、起訴され、支配人が亡くなった時点で起訴罪名を殺人に変更されるのだが、こうした捜査の経緯を見ただけでも、胡散臭い香りがする事件だと言えるだろう。
◆動機に疑問、証拠も脆弱
第一審の裁判員裁判は昨年6~7月に鳥取地裁で行われたが、案の定、検察官の有罪立証は苦しかった。
まず、動機の問題だ。検察官は石田さんについて、「水道光熱費を滞納していた」とか「消費者金融に180万円の借金があった」と指摘し、石田さんには金目的で事務所に侵入する動機があったような主張した。しかし石田さんが水道光熱費を滞納するのは、奥さんと結婚以来、数十年に渡って繰り返されてきた日常的なことに過ぎなかった。また、消費者金融の借金についても、石田さんは事件当時、約100万円の「過払い」がある状態だったため、「返済は終わった」という認識だったという。そして実際、消費者金融から返済の催促は受けていなかった。
では、物証はどうか。検察官の主張では、事務所の金庫や事務所に通じる出入り口のドアのノブから石田さんの指紋が検出されており、これは犯行時に付着したものだとのことだった。しかし石田さんはこのラブホテルの店長として働いていたのだから、そういうところから石田さんの指紋が検出されても何もおかしくない。物証もゼロに等しい状態だった。
◆第一審判決のわかりにくいストーリー
かくも有罪証拠が乏しい中、石田さんに不利な事実は、
(1)事件の翌日に千円札230枚=23万円をATMから自分の銀行口座に入金していたこと、
(2)事件翌日から車で大阪に行くなどして家を1カ月以上あけ、警察からの事情聴取の呼び出しにも応じなかったこと――だった。
この2点については、いかにも疑わしいように感じられる事実といえるだろう。
しかし(1)については、石田さんは「ホテルの各客室にある自動精算機の釣銭の予備として千円札が必要なので、ホテルの各客室にあるスロットゲーム機から売上金を回収するたびに千円札を自分の1万円札として交換してストックしておいた。それを入金したものだ」と説明しており、この説明を裏づける事実も存在した。石田さんが店長の業務としてスロットゲームの売上金を回収し、ゲーム設置会社に売上金を送金する際、1万円札で送金していたことが銀行の記録に残っていたのだ。これはすなわち、石田さんがスロットマシンから回収した千円札を手元に残し、その代わりに自分の1万円札を送金していた証左である。
また、(2)については、石田さんは元々、長距離トラックの運転手だったために家を長期間あけることが多く、以前にも1カ月間、仕事とは関係なく車上生活をしたことがあった。そういう事実が存在するうえ、石田さんは事件当日、奥さんに浮気がばれて家にいづらい状況になっており、加えて、過去には警察に無実の罪でひどい取り調べを受けた経験もあり、警察の事情聴取に恐怖を感じていたという。このように事実関係を丁寧にみていくと、(2)も有罪の根拠にするのは苦しかった。
それにも関わらず、石田さんは第一審で有罪とされたのだが、第一審判決は石田さんが強盗目的でホテルの事務所に侵入したという検察側の主張も退けている。そのうえで石田さんが何らかの目的で事務所に侵入し、その場にいた支配人と何らかのいさかいが生じて暴行に及んだうえ、事務所の金を奪ったと認定。こうして起訴罪名の強盗殺人を否定し、石田さんに殺人罪と窃盗罪を適用して、懲役18年の判決(求刑は無期懲役)を宣告したのである。
このように判決が曖昧で、わかりにくく犯行のストーリーを認定するのは、冤罪事件ではよくあることだ。さらに事件直後に石田さんと接したこのホテルの従業員たちも第一審の公判では、「石田さんの様子は普通で、何ら普段と変わったところはなかった」と口を揃えていた。石田さんはまぎれもなく無罪を宣告されるべき被告人だった。
なお、最初の逮捕容疑である詐欺事件については、石田さんはガソリンスタンドでクレジットカードへの加入をしつこく勧誘され、勧誘員のノルマに協力するために適当な記載をして申し込みをしただけだった。詐欺事件については、無罪が宣告されている。
◆年度内に判決を出したがった裁判長
そんな石田さんの裁判は第一審の終了後、弁護側はもちろん、強盗殺人罪の立証に失敗した検察側も控訴。1月19日にあった控訴審の初公判では、第一審の公判にも証人出廷したホテルの女性従業員の証人尋問と被告人質問が行われ、検察側は「強盗殺人罪を適用し、無期懲役を宣告するのが相当」、弁護側は「違法な第一審判決を破棄し、無罪判決を下すべき」と主張して結審した。そして冒頭で述べたように判決公判は3月27日の予定だが、栂村明剛(つがむら・あきよし)裁判長の判決公判の日時の決め方を見ていると、「年度内に判決を出したい」という思いが窺えた。それはきちんと証拠を吟味したうえで冤罪を見抜いているからなのか、それとも――。
私は公判も傍聴する予定なので、また続報をお伝えしたい。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。