特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)系組幹部の射殺事件で、殺人罪などに問われた同じ組の組長、木村博被告に、福岡地裁が求刑通り無期懲役の判決を言い渡したニュースを昨年の秋に聞いてショックを覚えた。なぜか。木村博氏にはひとことでは言い表せないほど激励を受けたからだ。共犯の組幹部、渡部公章被告(43)は懲役15年(求刑懲役18年)とした。
2012年11月末、僕は古い友人のライターと九州・小倉に飛んだ。工藤會の木村博幹事長(当時)に会うためだ。その木村氏に会ったタイミングで僕は出版社の契約社員を解雇された直後で、仕事は枯渇していた。「どうやって稼ごうか」と悩むあまり、自殺を考えていた。道を歩くたびにビルを見上げて「人は何階から落ちれば苦しまずに死ぬのか」と統計を求めたりしていた。
そのさなか、工藤會は警察からのマークが激しく、「特定危険指定暴力団」に指定される直前で法律的な理論を持ち出して警察と激しいバトルを繰り広げていた。結果的にこの年の12月に「特定危険指定暴力団」に指定される。
「もうどうせ死ぬのだ」という精神状態の中で工藤會幹部の木村氏とやりとりするのはそんなに苦しくはなかったが、マスコミを歓待する、紳士然とした態度の木村博氏にしだいに僕は“人間的魅力”を感じていった。その取材は滞りなく終わり、僕らは「取材者」と「被取材者」という関係から進歩することはなかったが、暴力団排除の機運でしのぎがきつくなってきたにも関わらず「わしらはマグロやカツオなどの回遊魚と一緒。泳いでなければ酸欠で死ぬ」と言い切るその男気には任侠魂というよりも“人間としての魅力”を感じてふと「仕事がないと自殺を考えますよね」と漏らしたことがある。しばらく、工藤會の屋台骨を支えてきた木村氏は電話の向こう側で沈黙したあと「小林さんも朝から早く起きて、予定をたくさん入れて忙しくしたほうがええですよ。人間、暇だとろくなことを考えん」と説得された。
このとき、修羅を生きる彼らから「最後まで抵抗すること」の美学を教わった。それにしてもここから僕はなんとかして踏ん張って生きていくのだから、人生は異なもの味なものだといえるだろう。僕は工藤會を守る弁護士からこんなつぶやきを聞いた。
「工藤會はさ、どうしてあんなにも頑張れるのだろうか」と。
その答えは、僕が懸命に生きてみないとわからないだろう。
そんな中、淡海一家の高山総長に関するニュースが入ってきた。
『産経WESTオンライン』が『京都府立医大を家宅捜索、暴力団総長の収監逃れで虚偽診断疑い 地検に出頭』との見出しでこんな記事 を報じたのだ。
「京都府立病院の院長と高山総長は昵懇」という情報も乱れ飛んでいる。僕はかつて竹書房から、高山総長の父親である高山登久郎氏の自伝マンガを出したが、これは宮崎学氏が緻密に取材した書籍をもとにしている。にもかかわらず、この漫画は福岡県警からの横やりが入り、宮崎氏が激怒して福岡県警と福岡県を相手に裁判を始めた(宮崎学公式サイトから)。これが2010年4月1日のことだ。そして僕は出版社の意向に逆らい、宮崎側に立って陳述書を提出し、担当の弁護士とも仲がよくなった。実は工藤會をつないでくださったのは、このときの弁護士だ。
なので、高山登久太郎氏の漫画を作るにあたって、許諾をくださったのは、淡海一家の高山義友希総長だ。高山総長に対しても、僕は足を向けて寝られない。
ここではスペースが足りないが、工藤會を声高に糾弾する福岡県警こそ、窃盗や強盗、恐喝など枚挙にいとまがない「悪の巣窟」だ。次回はこいつら「正義の仮面をかぶった似非警察屋」に焦点を当てていこう。
▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。