「業界に限らず、多彩な人と親交があった。誰からも愛されるお茶目な性格でした」(スポーツ紙記者)
幅広い芸で知られ、歌舞伎を海外にも広めた歌舞伎俳優の中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)のため、都内の病院で死去した。57歳だった。
「今年の6月中旬に、初期の食道がんが発見されたことを告白して、7月27日に手術を行った。その後は、舞台復帰に向け療養に努めていたが、8月中旬にARDSを発症してしまった。先月下旬から徐々に病状が悪化。そのまま帰らぬ人となった。最後まで舞台のことを心配していました。生粋の歌舞伎役者だと思う」(歌舞伎関係者)
音楽と舞台の融合などさまざまなアイデアを生み出しては実行し、歌舞伎界の行く末を誰よりも真剣に考えていた勘三郎さん。来春完成の新しい歌舞伎座(東京・銀座)を支える中心人物の一人として期待されていた大俳優の死が、さまざまな波紋を呼んでいる。共通の趣味を持つ友達の江川卓氏などは、5時間も遺体とともにいたという。
「一時気は、宮沢りえさんと恋の噂があったが、女性とも幅広く交際している器の大きい人だったから誤解があったのだろう。天才的な芸と人なつっこさを同時に併せ持つ、魅力的な人でした」(親交があった記者)
初舞台は3歳。「天才少年」とうたわれ、歌舞伎以外のドラマや現代劇などにも積極的に参加していた。
99年にはNHK大河ドラマ「元禄繚乱」で主演の大石内蔵助を熱演、それまで歌舞伎に全くなじみのない層をファンに取り込んだ。また、自らが率いる「平成中村座」では積極的に海外公演を実施。日本だけでなく、世界を巻き込んで、歌舞伎の浸透に尽力していた。
「ほかの芸術家からは、なんでも取り込もうとしていたから、海外にも友人は多い。歌舞伎界は、大きな星を失った」(前出・歌舞伎関係者)
またひとり、巨星が去る。中村勘三郎の芸魂よ、永遠に。
(鹿砦丸)