民主党は12月25日午後の両院議員総会で、新代表に海江田万里(63)を選出した。投票は党所属国会議員145人(衆院57人、参院88人)によって行われ、海江田氏が90票を獲得し、対立候補の馬淵澄夫政調会長代理(52)の54票を上回った。無効票が1票あった。
衆院選で海江田は、東京1区で落選し比例で復活している。
海江田こそ、東日本大震災で福島第一原発が爆発したとき、おおいに慌てて消防隊を恫喝、昨年7月、あげくのはてに国会で責任を問われ「いつ辞任するのか」との追及に涙した御仁だ。
海江田のホームページで「実現したい7つの政策」を見ると、原発に関する言及はない。
菅政権の経済産業大臣として海江田は、玄海原発の再稼働を要請し、昨年6月29日、古川康佐賀県知事と面会して、合意した。翌日の6月30日、菅首相が再稼働にあたってはストレステストが必要と主張し、再稼働は先送りになった。
昨年の、『Voice』9月号に、「原発再稼働をめぐる相剋」という論文を、海江田は発表している。次のような言葉がある。
「核兵器を持たない中で、これまで営々と培ってきた原子力の技術を無にしてしまってよいのか」
「もちろんだからと言って、行け行けどんどんで今後も原発を建設しようと言っているわけではない。おそらく今の日本に、今回の事故が起こる以前と同じ気持ちで原発を推進する人などいないだろう。冷静に経済産業省内の議論を聞き、国民の意見にも耳を傾けたいと考えている。そこで『やはり原発はゼロがいい』という声が多数なら、その意志には従うつもりだ」
『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』の甘利明の項で、海江田とのやりとりが紹介されている。甘利と海江田は大学の同級生だ。
昨年5月、携帯電話で、海江田は甘利に、浜岡原発を停めることになったと連絡している。
「他の原発に波及する懸念はないの?」と原発族議員の甘利が質すと、「それは絶対にさせません」「安全が確保されるまでの間、止めるだけですから」と海江田は確約した。
これは自身のブログに甘利が書いたことで、今でも見ることができる。
海江田は、原発再稼働を望む人々から期待をかけられている。
民主党の支持母体の大きな部分が、連合(日本労働組合総連合会)傘下の労働組合である。
その中でも大きいのは、電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)だ。10の電力会社の労働組合に、日本原子力発電、電源開発の労働組合が加わった連合体だ。
電力総連は原発推進であり、福島原発事故後も「事故原因が分かっていないのに、原子力発電を見直すべきかどうかの議論はできない」という態度を取っている。
電力総連というのも不思議な組合だ。港区三田に本部があるのだが、公の組織であるにもかかわらず、建物の外には何の表示もない。中に入って行って、やっと存在が分かるのだ。
訪ねたのは衆院選の前だったが、海江田のポスターだけが、外から見えるように、窓に貼ってあった。
3年前の選挙では、組合票に加えて「政権交代」に期待をかける風が吹き、無党派層の票をも吸い上げて、民主党は政権を手に入れた。
今回は風は、吹かなかった。だが、民主党内の代表選では、原発再稼働を求める、電力総連などの影響力は大きかったのだろう。
海江田を代表に選んだということは、福島第一原発の事故が「収束」したなどと大ウソをつき、大飯原発を再稼働させた野田を引き継ぎ、民主党は原発再稼働政党として動いていく、ということになる。
「『海江田ノート 原発との闘争176日の記録』なる本を講談社から出したが、内容は責任逃れに終始していた。ふたたび民主党内をどうこうする前に、いまいちど福島に行って土下座するところからスタートしていただきたい」(いわき市住民)
海江田氏は選出後のあいさつで「民主党の立て直しのために粉骨砕身、努力する」と語った。彼の口からは復興という言葉は出ない。
自公新政権は、「原発ゼロ」を言っていた公明が自民に屈したので、原発再稼働に動いていくことは必至だ。
「昔の名前で出ています」という哲学なき政治屋を代表に選んだ民主党は、自公新政権にコバンザメのようにくっついていくのだろうか。
3年前に政権交代への国民の期待の大きさから見ると、あまりにも哀れな末路、という他はない。
(鹿砦丸)
★写真は、電力総連の窓に貼られた、海江田万里のポスター