東京都新宿区百人町1丁目。山手線の新大久保駅を中心としたこの地域は歌舞伎町の裏手にあたり、水商売の匂いが消えない。韓国やトルコの人々が住み働く外国人街であり、また古くからの住宅街でもある。
雑然と散らかったこの街の空気はどこか澱んでおり、決して清潔な印象を持つことができないが、そういった諸々を人間臭さとして認めることで僕はこの街が好きになった。そんな百人町1丁目で発見した建築、新宿ホワイトハウスを紹介しよう。
◆磯崎新の処女作 ネオ・ダダ吉村益信の自宅
新宿ホワイトハウスは、建築家・磯崎新の処女作であり、美術家・吉村益信の住居として設計された。代表作としてロサンゼルス現代美術館や水戸芸術館、東京造形大学八王子キャンパス等を挙げることのできる磯崎は、やはり建築界の大御所だ。
1960年、モダニズム建築を推し進めた丹下健三の運動に参加するも、モダニズムでは無視された装飾性や過剰性といった要素を取り戻すべきだという考えを抱くに至る。こうした思想の下、1980年代以降はポストモダニズム運動を牽引していくこととなり、その業績から建築のみならず美術の文脈を知る上でも重要な建築家として認知されている。
新宿ホワイトハウスに暮らした吉村益信は、1960年に登場した前衛芸術集団「ネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ)」の主宰であり、ホワイトハウスはネオ・ダダの活動拠点であった。ネオ・ダダのメンバーとして有名な篠原有司男(通称:ギューチャン)、赤瀬川原平、荒川修作らに加え、メンバーではないが磯崎新もここホワイトハウスを度々訪れていたという。
◆「カフェアリエ」の“トマソン”
現在は、建物の一部を改装し喫茶店「カフェアリエ」として営業を行っている。ツタ植物に覆われた特徴ある外観だが、横道のさらに裏手に建っているため目立たない。
許可を得て外観を撮影していると、早速“トマソン”(ネオ・ダダのメンバーである赤瀬川原平が提唱した芸術概念。不動産に付着する無用の長物を指す。ここでは用途不明の2階の戸)を見つけた。
◆吹き抜け天井、白い壁、床に残った絵の具の跡
中に入ると、思わず深く息を吸いたくなるような吹き抜けの天井、白い壁。床には絵の具の跡が残っている。
バー・カウンターはカフェ開業に伴って据え付けたもので、ネオ・ダダ時代の押入れを改装して現在の厨房に仕上げたという。当時の台所もそのまま残っており、写真の通りだ。いかにもアトリエといった空気が心地よく、感傷的になってしまった。
本棚にはもちろんネオ・ダダ関連の書籍が並んでいる。ダダイスト諸兄には是非足を運んでもらいたい。
[撮影・文]大宮浩平
▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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