14年ぶりのタイ。17年ぶりのラジャダムナン・スタジアム。22年前に自分が出家したお寺を再訪し、ラオスへも足を延ばす旅──。ある旅行社関係から依頼があり、この5月、久々にタイへ出かけました。
ムエタイの試合とジムの様子、僧侶とお寺、歓楽街と売春婦、トゥクトゥク(サムロー)のボッタクリ、市場の賑わい、屋台の飯、市内バスと渋滞と排気ガス、買い物の値切り、チャオプラヤー河やメコン河の優雅な風景、街の野良犬野良猫、歩道橋の乞食……。タイを訪れるにあたり、思い出される景色には枚挙の暇がありません。
◆1993年、「オモロイ坊主」藤川清弘僧侶との出会い
1993年のことでした。ある偶然の導きから藤川清弘氏というタイ仏教の僧侶に出会いました。藤川氏はもともと京都で地上げ屋をやっていて、その後タイで事業を営み、51歳の時にタイで出家したという「オモロイ」経歴の持ち主でした。
私は、当時一時僧経験者だった藤川清弘氏と出会い、その後、タイ仏教のもと、ペッブリー県で再出家に至った藤川氏にお願いして、私自身も短期間出家したことがありました。その頃のお話は、いまから10年以上前に藤川氏のホームページ「オモロイ坊主を囲む会」で一度レポートしたこともありました。
藤川氏は2008年以降、胃癌を患い(それと直接的ではないようですが)、2010年2月に脳内出血で倒れ、永眠されています。
私の先導でタイ、ラオスを訪問するという今回の旅程を打診された時、当初それを受けるか否か躊躇しました。しかし、「悩んどらんと行ってみんかい!」と、藤川氏ならば、そう言うであろう言葉に背中を押されるかのように、14年ぶりのタイ行きを決心しました。その意味で今回の旅は、かつて私を指導してくれた藤川清弘氏と一緒に歩いた街並みを再び歩く旅でもありました(※藤川清弘氏との思い出は今後、別の機会に詳しく書かせていただきます)。
とはいえ、行きたくて指折り数えていた訳ではありません。夢にまで見たのとはむしろ逆でちょっと憂鬱。期待と不安がないまぜとなったままでの旅立ちでした。
◆エカマイ駅南側地区市場──早朝、市場に僧侶の托鉢姿を見に行くも……
タイでの滞在期間、ちょうどラジャダムナンスタジアムチャンピオンのT-98(=今村卓也)のムエタイ王座防衛戦も重なりました。試合は前回お伝えした通り、残念ながらT-98(今村卓也)は判定負けでムエタイ王座から陥落しましたが、それを取材することができました。
T-98取材当日の早朝、宿泊先のホテルから二つ先の駅、スクンビット通り“ソイ42”のBTS(高架鉄道)エカマイ駅南側地区にある市場に行きました。「僧侶が大勢、托鉢をする姿が見られる」といった同行者の誘いで行ってみたのですが、寝坊してしまい市場に着いたのは朝8時。すでに僧侶の托鉢時間は過ぎており、朝のラッシュの姿に変わっていました。
とはいえ、市場にはまだ賑わいが残っていて、旅行者が楽しめる風景が目白押しです。ソイと言われる路地には車が通る中、露店が連なります。衣料品も日用品も装飾品も並び、犬も寝転がる呑気さ。ぶっ掛け飯屋もあり、注文するがまま、御飯にオカズをのせてくれます。
次に訪れたのはエカマイ駅北側にあるタートゥトーン寺。ここはかつて藤川僧とバンコクに出た際、一泊だけさせて頂いた寺でした。しかし、その寺の面影の記憶が少なく、新築・増築された真新しい光景が目に入りました。かなり広い寺で22年前もどう歩き、どの辺りのクティ(僧宿舎)で泊まったかも全くわからなくなっていました。
◆言い値で乗ったトゥクトゥクもマイペンライ(大丈夫)
夕方にはT-98の試合のため、ラジャダムナンスタジアムへ向かいました。しかし、、フアランポーン駅前でしつこいトゥクトゥク(サムロー=三輪タクシー)に言い寄られながら「行くにはトゥクトゥクが楽だな」と同行者と決心し交渉。
「100バーツで行ってやるがどうだ?」と言う運転手に、「100でも高いだろうな、昔なら50バーツかな」と一瞬思いました。とはいえ、現在の相場もよくわからない。なので、運転手の言い値でトゥクトゥクに乗り込みました。
というのも、他の運転手は「200バーツ!」と言って来た。これはさすがに高い。私が選んだトゥクトゥクの運転手も「いや、100でいいよ」と笑っていたほどです。「旅行者が値を吊り上げている」と言う現地滞在者の話も聞きますが、私は根っから交渉下手。「ちょっとぐらい許して」と思って、そのトゥクトゥクに乗りました。
運転は思った通りの昔ながらの暴走モード。慣れればそんなに荒れた運転ではないのですが、滅多に乗らないとやはりそう感じます。多少ボッタくられたかもしれませんが、笑顔で人のいい感じの運転手さんでした。
◆大らかなタイ時間のおかげで出会えた懐かしい友
ラジャダムナンスタジアムでは、タイの知人カメラマンの来るのが遅い、さすがおおらかタイ人。リングサイドには知らないカメラマンが一人。日本の早田寛カメラマンも現れ、協力的な雑談。
タイ知人のカメラマンがやってきたところで打ち合わせをしていると、先に居た知らないカメラマンから声が掛かりました。実はそのカメラマン、知らないどころか懐かしい友人カメラマンでした。気付かなかったのはお互いが歳を取ったからで、昔一緒にムエタイの写真を撮っていた仲間でした。懐かしいあまりいろいろ話しかけてくれ、いざリングサイドに入る頃はカメラマン皆が「大丈夫だ、ハルキはここに居ろ」と補助してくれる有難さ。
こんな形でT-98撮影は無事終わりました。やれやれ、ひとつの目的は達成。これで帰国してもいいと思ったところ、同行者である友人は当然ながら“本番はこれから”と「明日から宜しく!」と気合充分でした。(つづく)
[撮影・文]堀田春樹
▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」