下記は今年6月17日付けの毎日新聞の記事だ。ここでの放影研の丹羽太貫(にわ・おおつら)理事長の発言は、一見殊勝にも見間違いかねないほど、悪意に基づいた「ごまかし・欺瞞」に溢れている。
〈原爆による放射線被ばくの影響を追跡調査している日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研、広島・長崎両市)の丹羽太貫(おおつら)理事長(73)が、(著者注:6月)19日に被爆者を招いて広島市で開く設立70周年の記念式典で、前身の米原爆傷害調査委員会(ABCC)が治療を原則行わず研究対象として被爆者を扱ったことについて被爆者に謝罪することが分かった。放影研トップが公の場で直接謝罪するのは初めてとみられる。丹羽理事長は「人を対象に研究する場合は対象との関係を築くのが鉄則だが、20世紀にはその概念がなかった。我々も被爆者との関係を良くしていかなければいけない」としている。
ABCCでは被爆者への治療は原則行わず、多くの被爆者の検査データを集めた。被爆者たちは「強制的に連れてこられ、裸にして写真を撮られた」などと証言。「モルモット扱いされ、人権を侵害された」と反発心を抱く人が少なくなく、「調査はするが治療はしない」と長く批判を浴びてきた。 (中略)
一方、被爆者を裸にして検査をしたり遺体の献体を求めたりしたことについて、丹羽理事長は「米国側が日本の習慣などを十分理解しておらず、文化摩擦があった。だがサイエンスとしては必要だった」との見方も示した。
放影研歴史資料管理委員会委員の宇吹暁・元広島女学院大教授(被爆史)は謝罪について「放影研は被爆2世、3世の研究を今後も続けるには、組織として謝った方が協力を得られやすいと判断したのだろう」とみている。〉
◆広島・長崎・福島を繋ぐ「放射線マフィア」本流
放影研もしかし、こんな経歴の男に「謝罪の真似」をさせるのだから、逆効果が出てもしかたはあるまい。放影研理事長、丹羽太貫の経歴を見て頂こう。
京都大学医学部 1975-1984年 放射線基礎医学教室助手
広島大学原爆放射能医学研究所
1984-1991年 病理学教室助教授
1991-1997年 病理学教室教授(1994年の改組により分子病理分野と改名)
京都大学放射線生物研究センター
1997-2007年 教授
1999-2003年 センター長
(独)放射線医学総合研究所重粒子医科学センター 2007-2009年 副センター長
バイオメディクス株式会社 2009-2012年 代表取締役社長
福島県立医科大学 2012-2015年 特命教授
放射線影響研究所 2015-現在 理事長
丹羽太貫放影研理事長は一貫して「放射線マフィア」の中心街道を歩んでき来た人間であり、ことに2012年に福島県立医大の特命教授に就任したあと、2015年から現職にあることが、この男の素性すべてを物語る。そして、京都新聞の8月6日朝刊では、丹羽は6月、「批判を重く受け止め、心苦しく思う」と放影研の「設立70周年式典」で被爆者に「謝罪」したと報道されている。「心苦しく思う」のどこが、謝罪なのだ。
「『調べるだけで治療せず』非難なお根強く」との見出しの通り、放影研はその前身のABCC(Atomic Bomb Casualty Commissionは「原爆傷害調査委員会」と)発足時より被爆者の調査を行い、そのデータを収集するという明確な目的はあったが、他方被爆者への治療などは「まったく」眼中になかった。その歴史は長くにわたり批判の対象となっていたけれども、丹羽はあたかもその過去を「反省」したかのような「雰囲気づくり」に一芝居うっただけであり、丹羽の言葉のどこにも「治療しなかったことが誤りであり、申し訳なかった」という趣旨の言葉は見つからない。
◆福島で表れた丹羽太貫の本性
それどころか、下の映像をご覧いただきたい。これが丹羽の本性を現すのには最も適格な材料だろう。
◎[参考動画]委員と傍聴者が怒鳴り合い~環境省専門家会議(OPTV2014年11月27 日公開)
福島第一原発事故後の環境省専門家会議で、出席者の一人である丹羽は傍聴席に向かって、罵声を飛ばし、威嚇までしている。詳細な説明は不要だろう。この男の本性をしっかりご覧いただこう。ちなみにこの専門家委員会の委員長は長瀧重信(ながたきしげのぶ)で、丹羽以上に「放射線マフィア」界隈では大物だ。長瀧は長崎大学医学部長や、放影研理事長を歴任している。こういった連中が環境省専門家委員会で事故後に至るも平然と大きな顔でのさばり、あろうことか、丹羽は傍聴者を威嚇までしている。
毎日のように、このような場面が多数の人々の目に触れれば、彼らがどのような魂胆の持ち主かが何も知らない人びとにも伝わりやすいのだろうが、なかなかそうはいかない。一言も謝罪をしていない不思議な「謝罪」を行った丹羽が理事長に君臨する放影研は、3年前から福島第一原発事故作業員約2万名を対象にした「調査」を行っている。作業員に体調不良者や白血病が見つかっても、放影研は当然治療をしてはくれない。
原爆による被害者が調査資料を得るための「モルモット」であったのと同様に、福島第一原発事故収束のために働いた人びとも、被爆影響がどのように現れるかの「人体実験」サンプルとして調査の対象にされるだけであることは間違いない。
◆広島、長崎、福島の犠牲者を「モルモット」扱いする放影研の閉鎖廃止を求める
放影研の運営(評議員)には今でもあやしい米国人の名前が複数、目につく。
丹羽は「われわれは科学を介して原爆の影響を世界に発信していきたい。そうすることが協力してくれた被爆者への恩返しになる」と述べているが、被爆者は核推進論者により捻じ曲げられ発信される「原爆の影響」などを望んではいまい。
いっそうのこと、広島市と長崎市は原爆の負の遺産である放影研の立ち退き、あるいは閉鎖を要請してはどうだろうか。犠牲者を追悼する方法には様々な手段があっていい。祈る人は祈り、精霊流しをする人はそれに思いを込め、犠牲者を「モルモット」扱いした非人道的組織、放影研の閉鎖を求める声がそのバリエーションの中にあってもよいのではないだろうか。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。