毎日新聞2017年8月25日付記事

〈小池百合子東京都知事の側近で、政治団体「日本ファーストの会」を設立した若狭勝衆院議員は8月25日、民進党を離党した長島昭久元副防衛相、松沢成文参院議員(いずれも無所属)と東京都内で会談し、新党結成を視野に政策協議を進めることで一致した。(略)
 若狭氏は年内の新党結成に向け、民進党を離れた細野豪志元環境相とも協議を続けている。今後、この日の3氏に細野氏を交えた協議を行うことも検討する。〉
(毎日新聞2017年8月25日付記事)

まあそんなところでしょう。自民党離党で一度「リフレッシュ」したイメージ作りを狙う連中と、本来野党にいるのが不思議だった長島昭久。これにネオコンの松沢成文と、頭空っぽの細野豪志。彼らは基本政策ですでに「改憲」、「非自民、非民進」で一致しているという。

ところが本コラムでも指摘した通り、「日本ファースト」との名称に方々からクレームがついているという。

(東京スポーツ2017年8月12日付記事)

東京スポーツ2017年8月12日付記事

元在特会会長の桜井からは公開質問状を送り付けられるし、ドクター中松は今年4月に「日本ファースト党」を商標登録していたという(さすが発明家は目の付け所が違う)。

◆小池都知事の本音は違う

こんな乱暴な名前、とは思うが彼らの目指すところを嘘偽りなく冠した名前ではあるので、このまま「日本ファースト(日本第一)」を名乗り続けてほしいものだ。そう確信させるに十分なニュースが伝わってきた。

〈東京都の小池百合子知事は25日の定例記者会見で、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を慰霊する9月1日の式典への追悼文送付を今年はやめたことについて、「3月に(都慰霊協会主催の)大法要に出席し、関東大震災で犠牲となられたすべての方々への追悼の意を表した」「特別な形での追悼文を提出することは控えさせていただいた」と説明した。
 虐殺の背景には民族差別があり、特別に追悼の辞を述べる意義を見いだせないか、との質問には「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っている」と述べた。
 これに対し、インターネット上では「虐殺は大震災で生き残った人々に対してなされた。震災死と同列に置ける訳がない」「災害にひっくるめるのは、殺害事件をなかったことにすることだ」などと批判する書き込みが相次いだ。〉

(毎日新聞2017年8月25日付記事)

毎日新聞2017年8月25日付記事

要するにこういうことなのだ。追悼文は1970年代から出しているとみられ、主催者によると確かなのは2006年以降、「あの」石原慎太郎でさえ送っていたのだ。小池は関東大震災による朝鮮人虐殺被害者追悼へのメッセージを断った。理由は「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っている」そうだが、本音は違うだろ。

◆たちが悪い小池都知事の物言い

この追悼式は関東大震災の被災者の中でもとりわけ、「流言飛語により虐殺された朝鮮人」の方々を追悼する集会だ。「特別な形での追悼文を提出することは控えさせていただいた」との物言いは、取り立てて乱暴な行為を想起させるものではないが、それだけにたちが悪い。知事が民間行事で挨拶したり、メッセージを送ることは、ごく日常的なことだ。この知事の代替わりをしても、何年も続いていた「虐殺被害者へのメッセージ」を取りやめる経緯は、

〈追悼式が行われる横網町公園内には、73年に民間団体が建立した朝鮮人犠牲者追悼碑があり、現在は都が所有している。そこには「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」と刻まれている。
 追悼碑を巡っては、今年三月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。
 これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。〉
(東京新聞2017年8月24日付記事)

東京新聞2017年8月24日付記事

歴史修正主義者のお決まりの論法だ。「被害者の人数が正確ではない」から「それほどひどいものではなかった」、「本当は少数しか被害はなかった」、「いやいやそもそもそんな虐殺はなかった」という「数」を盾に取った「史実抹殺策動」だ。

加害者として、被害者の数を少なく見積もる、あるいはなかったものにしようとする意図は、南京大虐殺、沖縄戦における自決の強要などで顕著だ。また被害側としては原爆被害が挙げられよう。広島原爆30-40万人、長崎原爆18-20万人というのが爆発から今日までの犠牲者の総数とされているが、一部の米国人や対立関係にある国の中には犠牲者数を半数程度にしか認めない国がある。さすがに「原爆がなかった」とは言えないけれども、昭和天皇ヒロヒトのように「遺憾なことではあったが戦争中のことであり、やむを得なかった」などという加害者は少なくない。

小池の「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っている」という物言いは、「災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っている。民族差別という観点は重要ではない」との判断にも基づくと理解される。上記のような都議会でのやり取りを受けているので間違いないだろう。

このような「日本ファースト」の本音は今後も続くだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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