私はこれまで数多くの殺人犯を取材してきたが、取材させてもらった人物がのちに殺人犯になったという経験も1度ある。木原武士(事件当時42)という人物で、2003年に起きたフリーライター殺人事件の主犯格である。木原とは20年近く前に一度会っただけだが、その時のことは今も忘れがたい。

被害者の染谷悟さん(筆名=柏原蔵書)の著書『歌舞伎町アンダーグラウンド』(ベストセラーズ2003年)

◆インタビュー取材のために訪ねたが……

この事件の被害者・染谷悟さん(同38)は、柏原蔵書(くらがき)という筆名で「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著書があるフリーのライターだった。2003年9月、その刺殺体が東京湾で見つかり、ほどなく都内で鍵会社を経営する木原が2人の共犯者と共に検挙された。主犯格の木原は裁判で2006年に懲役16年の判決が確定したが、染谷さんを殺害した動機は、染谷さんが自分を誹謗する本を出版する計画だと聞いたことなどだとされる。

私がそんな木原に取材させてもらったのは、事件の数年前のことで、たしか1998~1999年頃だった。当時はピッキング被害が続発していた時期で、木原は「防犯アドバイザー」のような形でマスコミに頻繁に登場し、ちょっとした有名人だった。当時20代後半だった私は月刊誌の仕事で、そんな木原の元に成功体験を語ってもらうインタビュー取材に訪ねたのだ。

だが、実を言うと私はこの時、木原のもとに取材に訪ねながら、結果的に何も取材せずに記事を書いてしまったのである。というのも、私はこの日、下調べをほとんどしておらず、木原に対して要領を得ない質問を繰り返した。そんな私に苛立っていた様子の木原はこう言って、過去に取材を受けた雑誌記事のコピーを差し出してきたのだ。

「これを見て、書いてよ。よく書けている記事だから」

本当にその記事をほぼ丸写しにする形で原稿を書いた私もいい加減なものだが、木原は逆らわないほうが無難そうに感じさせる人物だった。

◆面倒見や金離れは良さそうだが……

そんな感じで木原への「取材」は10分程度で終わり、1時間かそこら四方山話をしたのだが、木原からは若い頃に派手に儲けた話や派手に遊んだ話を色々聞かされた。そして適当に話を合わせていたら、木原は「君は27歳か。いいなあ」と、こんなことを言い出したのだった。

「君は今、何をやっても楽しいだろう。俺も27くらいの時はそうだった。30代半ばを過ぎると、いくらお金があっても感動できなくなるんだよ。今、俺が君と替われるんだったら替わりたいもん」

当時は金回りが良かったとされる木原が人生に少々退屈している様子が窺えた。

被害者の染谷さんは元々、木原と良好な関係で、木原から金を随分引っ張りながら裏切り行為を続けて殺害されたように伝えられている。振り返れば、たしかに木原は「面倒見や金離れが良さそう」「怒らせると怖そう」という両方の雰囲気を感じさせる人物で、事件後の報道は得心できるものが多かった。

私は今もたまにこの時の木原の様子を思い出すが、そのたびに下手なことはしないでよかったとつくづく思う。と同時に、46歳になった今の私は、私の若さを羨んだ木原の当時の気持ちがわかるようになった自分に気づくのだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)