昨年8月、鑑定結果を繰り返し捏造していた疑惑が発覚し、12月に証拠隠滅、有印公文書偽造・同行使の疑いで書類送検されると共に依願退職していた和歌山県警科学捜査研究所(科捜研)の元研究員(50)がこの3月28日、ついに在宅起訴されたという。起訴をうけ、新聞各社もこの元研究員の実名をようやく報じるに至ったが、この機会に何はさておき触れておかねばならないのが、この「能阿弥昌昭」元研究員と和歌山カレー事件の関わりだろう。

1998年7月、夏祭りのカレーに何者が猛毒のヒ素を混入し、60人以上が死傷した和歌山カレー事件。殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2009年に死刑判決が確定した林眞須美さんは現在再審請求中だが、林さんの周辺から見つかったとされる重要物証のヒ素については、かねてより捏造疑惑が囁かれてきた。そんな背景もあり、能阿弥元研究員の鑑定捏造疑惑については、発覚当初からカレー事件の証拠捏造疑惑と関連づけて語られることが多かった(当欄の2012年9月2日付けエントリを参照http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=1461)。そして実際、能阿弥元研究員はカレー事件の鑑定にも関わっており、鑑定資料となったヒ素に接触する機会がけっこうあったのだ。

まず、事実関係を整理しておくと、林さんの周辺から見つかったとされるヒ素は大きく分けて、3つある。1つ目は、林さんの白アリ駆除業を営む実兄Aさんが「事件前、林さん夫婦から譲り受けていた」として和歌山県警に任意提出したヒ素だ。このヒ素は林さんの夫・健治さんが白アリ駆除業を営んでいたころに使っていたもので、捏造疑惑はとくに指摘されていない。

そして2つ目は、林さん夫婦が事件の3年前まで住んでいた旧宅を和歌山県警が林さん夫婦の逮捕後に家宅捜索し、ガレージの棚から見つけたとされる缶入りのヒ素だ。このヒ素については、この家に事件当時住んでいた林さん夫婦の友人男性・田中満さんが「3年間もこの家に住んでいたが、そんな缶は一度も見たことがない」と言っていることなどから、捏造の可能性が指摘されている。

3つ目は、林さん宅台所で見つかったプラスチック容器に付着していた微量のヒ素だが、この容器も事件発生から2ヶ月以上経って、林さん夫婦逮捕後の家宅捜索で見つかったという発見経緯や、表面に「白アリ薬剤」というヒ素を意味する文字がマジックで書かれている不自然さから捏造疑惑が根強く囁かれている。

では、能阿弥元研究員がこれらのヒ素のうち、どのヒ素に接触する機会があったのかというと、能阿弥元研究員はカレー事件の捜査段階で3つのヒ素すべてに実際に接触しているのである。というのも、カレーに混入されていたヒ素とこれら3つのヒ素が同一のものか否かを調べる鑑定をしたのは警察庁科学警察研究所(科警研)や大学の教授(当欄の2013年3月14日付けエントリを参照http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=1461)だが、証拠のヒ素は当時、和歌山県警科捜研の2階にある化学実験室や3階にある銃器試射室で保管されていた。そして、能阿弥元研究員は、林さんの実兄Aさんが任意提出したヒ素や、林さんの旧宅から見つかったとされるヒ素をサンプル瓶に取り分けて科警研に搬送したり、科警研で鑑定した「白アリ薬剤」の文字入りプラスチック容器やカレーに入っていたヒ素を大学教授に鑑定させるために科捜研にいったん持ち帰る役目を務めているのだ。

このように捏造疑惑のあるヒ素について、能阿弥元研究員が接触していたのは、和歌山県警がこれらのヒ素を収集した後のことである。とはいえ、捏造疑惑のあるヒ素とカレーに入っていたヒ素が同一のものか否かを調べる鑑定の過程において、鑑定資料のヒ素に接触していた科捜研の研究員に鑑定捏造疑惑が浮上したとなれば、「カレー事件でも何かやっていたのではないか」と疑いの目を向けられるのも自然な流れではあるだろう。

実際のところ、筆者自身は現時点で、能阿弥元研究員がカレー事件の鑑定で何らかの不正(たとえば、林さんの周辺で見つかったとされるヒ素とカレーに入っていたヒ素を混ぜて、同一のものにしたような不正)を行っていたのではないかという疑いはとくに抱いていない。しかし、林さんの裁判では、重要物証のヒ素に不自然な点が多かったにも関わらず、第一審から上告審を通じて裁判所は弁護側が指摘した証拠捏造の可能性をまともに検証していなかったので、能阿弥元研究員が「警察がその気になれば、証拠はいくらでも捏造できる」「他ならぬカレー事件の鑑定に関わった和歌山県警科捜研の研究員も実際にやっている」というイメージを世間に喧伝した意味は決して小さくない。その裁判では、少なくとも和歌山県警科捜研における証拠の日常的な取り扱い状況の「実態」が詳しく明らかにされるべきだ。

(片岡健)

★写真は、能阿弥元研究員の裁判が開かれる和歌山地裁。