先輩僧たちに囲まれて俗人姿で撮影(1994.10.28)

◆寺入り3日目の朝

部屋は替わったので、隣に寝て居るのは二人のデックワット。不安や苛立ちが大きいのか、今日も眠りが浅いまま自然と目が覚めてしまいました。今日は春原さんがやって来る日。「明るく笑顔で出迎えなければならない」と思っているうちに5時に目覚まし時計が鳴り、電灯を点るとデックワットも目を覚ましてしまい「悪いな!」と言いつつ、藤川さんに合わせるため仕方ないところ。

ワンプラの次の日は平凡な朝に戻ります。いつもの流れで比丘の朝食、デックワットの朝食と移り、相変わらずやることが遅れる私。朝食後、藤川さんは私に声掛けることなく一人で掃除を始めていました。口煩かった昨日と比べ、今日は無視か。仕方なしに私も自分の部屋を雑巾掛け掃除して、そのまま部屋に篭ってしばらく本を読んでいると扉が開き、藤川さんが白衣をポンと投げ入れ、何も言わずに行ってしまいました。

「何だ、何か言って行けよ」と思うも、この白衣は剃髪後に纏うことになり、比丘と俗人との中間に立つことになります。これは借り物で済むものですが、本来はこれも親族から贈られるものでしょう。これを準備してくれた藤川さんでありました。

本堂脇で藤川さんは春原さんと立ち話(1994.10.28)

髪を剃ってくれるのは僧歴7年のアムヌアイさん(現・住職)(1994.10.28)

◆春原さんを迎える!

比丘の昼食後はデックワットと一緒に飯喰いたいところ、春原さんを迎えにバスターミナルへ行かねばなりません。

一応、藤川さんに断ってから行こうと部屋に行くと「オイ、待っとってくれよ!」と言って黄衣を纏って準備している藤川さん。

私は「はあ? 何で来るんですか?」と言うと「まあええやろが!」とまた出たがり藤川さん。仕方なく、また2台のバイクタクシーで向かいました。予定していた12時30分ぐらいに青いエアコン高級バスは到着。15人ほどの乗客の中、降りて来た春原さん。先日会ったメンバーは誰も来ず、それで結構なところ、彼らの気分を悪くさせていたかと後ろめたい気持ちも残りました。

藤川さんは「よう来たな、こんな田舎まで御苦労さん!」と労いの言葉をかけます。また話し相手を迎えてニコニコ顔。「お久しぶりです。相変わらず元気そうですね!」と応える春原さんの御挨拶を遮って、私は早速、「春原さん、昼飯行きましょう!」と食事に誘い、我々は軽四輪タクシーに乗って市場に向かいます。ぶっ掛け御飯の惣菜が並ぶ屋台に入るも、藤川さんは昼を過ぎているので食事は摂れません。こんな状況だから連れて来たくなかったのです。

昼食後は銀行へ行って、得度式での参列する比丘たちへのお布施用に100バーツ紙幣が多めに必要になるので、4000バーツ分を両替。更に雑貨屋で、昨日買っとけばよかったと思うも、封筒や湯沸しポット、部屋の鍵は新しく備える為の南京錠を購入。

「ついでにネズミ殺しの餌買うて来てくれ!」と言う藤川さん。比丘がネズミ殺しって?「これはさすがにワシが買うのはマズイやろう、そやから頼むわ!」ってそんな勝手な。春原さんは巣鴨での会話の再現に笑っているし、「巣鴨の時のような呑気なものではないんですよ、愚痴聞いてよ!」と悶々と春原さんに訴えかける私。

何かポーズをとっては印象に残るカットを考える私(1994.10.28)

他の比丘も興味津々集まって来る(1994.10.28)

心は泣いている私(1994.10.28)

仕上がり直前、剃り残しをチェック。藤川さんも何か言いたそうな顔つき(1994.10.28)(1994.10.28)

白衣を着せてくれる藤川さんと私(1994.10.28)

◆剃髪の時間!

午後2時頃、寺に帰ると春原さんを連れ境内を案内し、得度式を行なう予定の本堂の方へ回りました。ついて来た藤川さんはそんなところでも立ち話しが長い。こちらは今のうちに春原さんとツーショット撮りたいのに、自分の話しが終われば「もう頭剃るぞ!」と急がせます。クティの階下にある芝生の上にパイプ椅子が置かれており、正に刑場のような佇まい。「まず水浴びて来い!」と藤川さんに促されます。石鹸で頭洗いながら、「髪がある、ずっとこうやって何年も髪洗って来たんだな」としみじみ洗い収めました。

今日は髪がゴワゴワになる心配は無い。タイに居て石鹸で髪洗うことはムエタイのジムでも経験あり。幼い頃も石鹸でした。昔は粉石鹸なるものも売っていて、これで髪洗ったんだな。何か遠い昔を思い出す水浴びでした。

3時半頃、“刑場”に向かうと髪を剃ってくれる僧歴7年のアムヌアイ(現・住職)さんが待っています。

「まず断髪式や!」と言って春原さんにハサミを持たせた藤川さん。普通は親族の父親が最初にハサミを入れるのでしょう。しかし私にはこのタイで親族は居らず、親族暫定代表の立場にあるのは春原さんだけ。
「えっ! いいの? 切るよ! 本当に切るよ!!」
オドオドしながらハサミを入れようとする春原さんに藤川さんが
「バサッといけ、そんなもん!」と後押しします。

そしてついに頭頂部の髪が切られました。散髪屋で感じる切れ味とは違う、遠慮がちなゆっくり“ジョキッ”とした音。「ついに切った。始まった!」と悟る瞬間でした。次にアムヌアイさんが剃り始めます。カミソリで髪を梳いているような心地良い響きが伝わってきます。

春原さんに「あっちからも撮って、見ている坊さんらも入れて!」なんて注文していると「いちいち煩い!」と言われる始末。仕事でカメラマンも兼ねる人だから、分かっていることには苛立ったことでしょう。やたら喋ることが多かった私は、心が動揺してどうしようもなかったのです。10分あまりで剃り終えるとアムヌアイさんに御礼を言って仕上げの水浴びに向かいました。髪を掴もうにも「あっ、髪が無い、現実なんだな」と意識すること10秒ぐらい。しかし頭洗うことの楽なことも実感。

部屋に戻り、春原さんは「どうです、今の心境は?」と計量を終えたボクサーにインタビューするかのように問い、「昨日も今日も変わらぬ風景が視野に入っていますが、この場に春原さんが居る不思議さと、癖で髪を掻き上げようとすると髪が無いことに気付く。そこでハッと現実に返るような心境です」と応える私。そんなところへ藤川さんがやって来て「早よ着んかい!」と急かすように白衣を纏わせてくれました。

子供の蛇が成長し脱皮して古い皮を捨て去るように身体は白くなり、大人へと一段と成長する過程にあるこの状態が、この白衣の意味があるようです。そして次が黄衣に変わる、明日は大人の仲間入りとなります。

そして明日の得度式に備え、比丘へのお布施を「100バーツを25人分、300バーツを2人分、500バーツを一人分、親代わりになってくれる式の先導役へ200バーツ用意しとけ!」と言って出て行った藤川さん。買った封筒は50枚ほどあり、両替した紙幣をその人数分用意しました。

夕方、5時30分を回った頃、そろそろ春原さんはホテルへ移動します。こんな寺ではお誘いできる寝床はありません。予約はしてなかったと思いますが、寺から7~8分ほど歩いたところに、中級のホテルがあるようで、藤川さんが付き添って行ってくれました。

30分程で戻って来た藤川さん。ホテルのフロントの女の子に勿論タイ語で「“日本からウチの寺を取材に来た記者や、どうせ今晩暇やろうから晩飯でも付き合うてやってくれてもええで”と言うて来たわ!」と話す藤川さん。フロントの女の子も大笑いだったらしく、比丘の立場でお騒がせな藤川さんでありました。

寝るまでに髪触ろうと何度頭を触ったことか。中学生の頃は五分刈りで、こんな剃ってしまうのは生まれて初めてのこと。長髪が好きで、もう絶対坊主頭にはしないと思った中学卒業の頃。私も変わったものだと感心。明日は高津くんがこの頭見て笑うのかあ。恥ずかしながら楽しみな対面となります。

春原さんと初めてのツーショットは剃髪後、セルフタイマーで(1994.10.28)

※筆者剃髪時の写真は春原俊樹氏(ワールドボクシング=当時)撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』