三國連太郎は「三國連太郎」の名で逝った。4年前に亡くなった忌野清志郎も「忌野清志郎」の名で逝った。偉大な人たちはそうだろう。それまでその名を張って生きてきたのに、亡くなった途端に、それが「俗名」だったとされたらたまらない。
調べてみたら、戒名というのは仏門に入った者に与えられる名で、故人に与えるのは日本だけのようだ。
堕落した仏教がどれだけ日本に浸透してるかを、私はまるで分かっていなかった。

父親の火葬は無事に済んだ。
自分勝手に生きてきた父は、満足そうな顔をしていた。
これ以上、何かをしてあげる必要など、あるんだろうか。

だが、残った遺骨を、どうすればいいのだろうか。
散骨すればいいのではないかと思ったが、「だって、お父さんが入りたいって買った墓でしょう」と、教会で結婚式を挙げた妹が主張する。
だが、墓は土台までしかなく、石塔がない。それを、どうするのか。
「お兄ちゃんも、いずれ、あのお墓に入るんでしょう」と妹が言う。
私に石塔を建てさせるつもりなのだ。この妹は。
「俺は、あんな寺には、絶対に入らない!」
いつになく「俺」などと威勢のいい主語を使ってしまう。自分のことくらいは自分で決めさせてもらいたい。

「あんな父だったけど、お経もなし、葬儀もなしじゃ、あんまりでしょ。納骨の時に親戚や知り合いを呼んで、偲ぶ会をやりましょう」と妹は言う。
偲ぶ会くらいは、いいんじゃないかと思う。
「どうするんだ、それは。会費制でやるのか?」
「皆、お香典持ってくるでしょう」
それはそうだ。だが、石塔を建てる金や、坊主に払う金を考えたら、かなりアシが出てしまう。
後から聞いたら、妹の義父の葬儀は盛大なものだったが、かかった総額よりも集まった香典のほうが多く、黒字だったようだ。この時に、そういう算段を弾いていたのだろうか。妹は。
だが共産党員で市議まで努めた妹の義父と、会社を倒産させただけの父とでは、集まってくる人数も香典の額も違う。

「偲ぶ会はいいとしても、皆、納骨なんかに立ち会いたいものかなあ」
私は言ってみた。
遺骨をどうするかはペンディングして、なんとかして寺との関わりを避けたい。
「焼くだけね。焼くだけね。焼くだけね。焼くだけね。焼くだけね」
いまだ、住職の声が耳の奥で巡っている。
「立ち会いたいでしょ。だって、兄弟とかだよ。私、お兄ちゃんの納骨には立ち会いたいよ」
妹にそう言われると、言い返す言葉が思いつかなかった。

火葬に来られなかった叔父が、2日後、線香を上げにやってきた。
先に出てしまった父に代わって、家を守ってきた叔父である。何かいい知恵があるのではないか。経緯を説明して相談した。
「電話で話しただけじゃ分からないよ。話してみたら、気持ちの通じる人かもしれないじゃない。一度さ、会ってごらんよ」
そうして、坊主に会いにいくことになった。

(FY)

死よりも、法外な検死料にビックリ

夕焼けが空襲に見えた父

ピグマリオンとゴーレム

アメリカ好きから韓国好きになった、父

父と私に引かれた、38度線

天国でも金はいるのか?