◆ はじめに
 
2016年9月、大阪市西成区の居酒屋「集い処はな」で桜井昌司さん(布川事件の冤罪被害者)のお話を聞く会を開催しました。小柄な桜井さんは、店の奥で立ったまま話されました。その姿が店の外から見えたのか、途中40代半ば、ラフな短パン姿の見知らぬ男性が突然入ってきて「さくらいさん、ですよね」と確認するように尋ねてきました。それが盛一さんと桜井さんが出会うきっかけとなりました。

男性は石川県出身の盛一克雄(もりいちかつお)さん(47才)と自己紹介し、自分も刑事事件で有罪判決を受けたが冤罪であること、桜井さんのように再審で無罪を勝ち取りたいと熱心に訴えました。有罪判決を受けたあと、職も家族も失い、また地元に居辛いいため、ときおり西成(釜ヶ崎)の安宿に泊まり、1日中、冤罪関連の書籍を読んだりし、どうやって再審を闘えばいいか考えていた。

店の前を通った直前も桜井さんのインタビューの動画を視聴していたため、桜井さん本人に会えたので非常に驚いたと興奮気味に話し、桜井さんに協力して欲しいと訴えました。その後、和歌山カレー事件や狭山事件など冤罪事件を支援する仲間、桜井さん、青木恵子さん(東住吉事件の冤罪被害者)とともに「盛一国賠訴訟を支援する会」を作りました。

盛一さんのデッチ上げ事件発生からこれまでの経緯をまとめました。

◆ 覚せい剤事件のでっち上げと検面調書の非開示
 
2014年3月19日、盛一さんの自宅などに石川県警の家宅捜索が入り、盛一さんは覚せい剤譲り渡しの疑いで逮捕されました。

しかし盛一さんの自宅、会社、盛一さん所有の車両などから覚せい剤は見つからず、覚せい剤譲り渡しについては不起訴となりました。そのご、逮捕後の尿検査で覚せい剤の陽性反応が出たとして覚せい剤使用で再逮捕となりました。

盛一さんは覚せい剤譲り渡しも覚せい剤使用も身に覚えがないため、逮捕後ずっと「やっていない」と否認を続けていました。そのため、接見禁止(弁護士以外は面会できない。のちに母親も許可)のまま400日も拘留され続け、その間に妻や子どもとは離別を余儀なくされ、また盛一さんが代表を務めていた木材会社を失う羽目となりました。

盛一さんは、自分がなぜやってもいない事件をでっちあげられたかを知るため、公判前整理手続きで検察の持つ証拠を開示させました。まず初めに、盛一さんが逮捕される約10ケ月前、覚せい剤使用で逮捕、起訴、のちに有罪判決を受けたA(女)の「員面調書」(警察署で作成される調書)が開示されました。そこには「盛一がB(男。Aの恋人)に覚せい剤を売り渡す場面を2回見た」と書かれていました。しかし盛一さんはAに1回しか会っていないし、Bに覚せい剤を売り渡してもいません。そこで次に盛一さんは、Aの「検面調書」(検察庁で作成される調書)の開示を求めましたた。すると担当検事は「Aが拒んだから、Aの検面調書は存在しない」と返答してきました。

◆「検面調書は存在しない」は検事のウソだった

2015年4月23日から始まった盛一さんの公判で、盛一さんはAを証人として呼びました。そこでAは「盛一さんとは1回しか会っていない」と員面調書の内容(盛一と2回会った)を否定し、「検面調書を拒否した事実はなく、検察庁で検面調書を作成した」と驚くような証言をしました。

しかし残念なことに、2015年5月1日、盛一さんは金沢地裁で有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受け、すぐに控訴しましたが、2015年10月15日、名古屋高裁金沢支部は控訴を棄却し、有罪判決が確定しました。

納得できない盛一さんは、2016年3月、Aの訴訟記録を閲覧し、そこでAの検面調書が存在していたことを知り、うち3通を入手しました。これを手掛かりに何とか無実を証明出来ないかと考えた盛一さんは、今回の国家賠償請求訴訟を起こし、闘いの一歩を踏み出しました。

そして2017年11月24日、金沢地裁で、盛一克雄さんを原告とする国家賠償請求訴訟が始まりました。

この訴訟は前述したように、2014年、盛一さんが覚せい剤使用で逮捕、起訴され有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を受けた刑事事件について、実際には存在した証拠の開示を求めていたものの、担当検事により「存在しない」とされたため、盛一さんの防御権の行使が妨げられたとして、国家賠償法に基づく損害賠償請求をするものです。

◆ 事件の本質は「警察の闇」を知る盛一さんへの口封じ
 
では、なぜ盛一さんは、こんな酷い目にあうのでしょうか?

実は盛一さんは、若い頃、石川県警の捜査協力者をやらされていた過去があります。警察署で、何も書かれていない真っ白な調書に署名、捺印させられたことが何度もありました。石川県警は盛一さんの署名、捺印した真っ白な調書で虚偽の調書を作成し、それを第三者の逮捕状や家宅捜索連所を請求するときの資料としたと考えられます。

しかし、ある暴力団の抗争に使われた拳銃が、石川県内の某所にあるとして家宅捜索された事件で、盛一さんが署名、捺印した調書が使われたことがあり、その裁判の過程で盛一さん自身が証人として呼び出されそうになったことがありました(結果は中止となりました)。

盛一さんは自分を危険な目にあわせる石川県警に抗議するとともに、以降警察との関係を断つようになりました。また、自分が行ってきたことは間違いと気づき、後日、周囲に「覚せい剤事件などで警察は虚偽の調書を作成して、裁判所から令状を発布させることが多くある」と話したりしました。このような、警察が最も隠したいことを、他人に漏らした盛一さんを口封じする目的で、今回の「逮捕」があったのではないでしょうか。

なぜそう考えるのか? じつは、盛一さんが逮捕後、連行された警察署内の取り調べ室で、扉越しに「バーカ、アホがっ!」と怒鳴る刑事がいました。盛一さんが過去に警察の協力者をやっていた際、何度も飲食をともにした刑事です。

盛一さんは、かつて警察の捜査協力者であったことを深く反省するとともに、警察の違法な捜査や検察の証拠隠しで冤罪が作られることを断じて許してはならないと考え、闘いの一歩としてこの国賠訴訟を起こしました。

この闘いには、冤罪被害者である桜井昌司さん、青木恵子さんも支援を表明され、第一回口頭弁論後の記者会見で桜井さんは「盛一さんの事件は、私や青木恵子さんの無期懲役事件とは違い小さな事件のようだが、警察、検察の証拠隠しを追及する非常に重要な闘いだ。今後も支援していきたい」と述べています。

全国のみなさまにも、この盛一国賠へのご支援とご協力を強くお願い申し上げます。

尾崎美代子(「盛一国賠訴訟を支援する会」事務局)

◎次回裁判◎
2018年2月2日(金)午前11:00~ 金沢地裁第202法廷

裁判終了後「味噌蔵町公民館」(金沢市兼六元町7番19号)で、
桜井昌司さん、青木恵子さん同席での「報告会」を予定しています。
こちらへもぜひご参加ください。

 

◎[参考動画]桜井昌司、青木惠子が冤罪仲間の盛一克雄の支援を表明(寺澤有2017年11月25日公開)
※この裁判にはジャーナリスト寺澤有さんも支援して下さり、2017年11月24第一回口頭弁論後、味噌蔵町公民館で開かれた記者会見を取材し、YouTubeに上記の通りアップされています。視聴してください。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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