玄関ホールより先はナンバーロックになっていて、ガラスのドアが閉まっている。部外者はそこより先に入れない。社長の部屋ナンバーを押して呼び出してみるが、反応はない。鞄に入っていたコピー用紙をドアの下の隙間から突っ込んでみる。内部のセンサーが反応して開かないかと思ったのだ。折り曲げたり、横一列に並べたり、丸めてみたりと七、八枚滑り込ませたが効果はなかった。紙の回収も出来なくなった。ポストは外側から投函することはできるが、物を入れるだけの隙間しかなく外から中を確かめられない。
右脇に警備員室の窓があるが、常駐ではないらしく人の気配はない。誰か居れば、
「ウチの社長と連絡取れないんです。会社が赤字続きなので、早まった真似をしていないか心配なんです。開けてくれませんか」
といったセリフを用意していたのだが、披露するチャンスはなかった。
一旦玄関ホールを出て、周囲を一回りしてみる。他に入れそうなところもない。駐車場やゴミ置き場があるが、平日のせいか人はいない。少しの間待ってみたが、誰が来る気配もなく、ただ忙しく表通りの車が流れるのを見ていた。
結局、紙くずを撒き散らしただけで帰ることになった。高級マンションって、私のような不審者を入れたくない時は便利だな。尤も、社長はそれを考慮して住んでいるわけではないだろうが。というより、もうここには住んでいないかもしれない。夜逃げしたなら、普通なら足がつく前に出て行くだろう。住居なんてあらかじめ引き払ってしまうだろう。
今月の家賃の払いはどうするんだろう。金の無い社長が払うわけはないし。今まで通り会社に請求がきたらどうするのか。ああ、払うとか払わないなんてもうどうでもいいのか。真面目に会社の仕事をする必要も無いよな。少なくとも、取り残された社員には、その義務も無い。夜逃げと言うが、昼間に荷物まとめたのかな。レンタカーで軽トラでも借りて、家の荷物運び込んだ足で会社に行き、自分のPCやサーバを詰め込んで、通帳なんかも持ち去って、何処へかと去っていく。そんな光景を想像してみた。
会社に報告の電話をすると、今日はもう仕事にならないんで、皆帰り支度をしているとの返事。私もそのまま直帰する。まだ陽は高いが、もうする仕事もなければ、する気もない。
(続く)
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(戸次義継・べっきよしつぐ)