1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害された「飯塚事件」では、2008年に死刑執行された久間三千年氏(享年70)に冤罪の疑いが長く指摘されてきた。その飯塚事件の再審請求即時抗告審で、福岡高裁(岡田信裁判長)がきょう2月6日の午前10時、再審可否の決定を出す。
当欄で繰り返し紹介してきた通り、久間さんが無実であることは間違いないが、その生命を奪った責任者たちは今、どこで何をしているのか。実名で報告する。
◆警察トップはあの東証1部上場企業の会長に
まず、捜査段階の責任者から見ていこう。
久間氏は1994年9月、福岡県警にこの事件の容疑で逮捕された。当時、県警本部長を務めていたのが村井温氏だ。その後、村井氏は1997年に実父が創業した大手警備会社「綜合警備保障」に転じて社長を務め、同社を東証一部に上場させた。現在は代表取締役会長だが、ホームページ上で「当面、売上1兆円、その次は業界ナンバー1を目指します」と豪語しており、かなり羽振りが良さそうだ。
私は以前、編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』を制作した際、村井氏に取材を申し込んだが、村井氏は秘書を通じ、「警察時代の職務については、取材を受けないようにしている」と断ってきた。しかし調べたところ、村井氏はそれ以前、「賢者グローバル」という無料動画配信サイトの取材に応じ、福岡県警本部長時代に「1万何千人」もいた部下をいかにマネージしたか、当時の経験が今の会社でいかに役立っているかを笑顔で語っており、誠実さに欠ける人物だと思わざるをえなかった。
一方、久間氏を起訴した福岡地検の村山弘義検事正はその後、法務・検察の世界では検事総長に次ぐナンバー2のポストである東京高検検事長まで出世した。1999年に弁護士に転身後は三菱電機やJTに監査役として迎えられ、外部理事を務めた日本相撲協会では2010年の大相撲野球賭博騒動の際に理事長代行も務めた。
私は前掲書を制作した際、村山氏にも取材を申し込んだが、やはり断られた。電話で取材を断る理由を尋ねたところ、「理由なんか申し上げることはありません。色々考えて、お断りしたということでございます」とのこと。飯塚事件について何か語るべきことがないのかと尋ねても「そんなことを申し上げることもありません」、冤罪だと思っていないということかと確認しても「はいはい、すみません」という感じで、とりつく島がなかった。
◆確定死刑判決を出した裁判長は頑なに取材拒否
久間氏は捜査段階から一貫して無実を訴えていたが、裁判では福岡地裁の1審で陶山博生裁判長から死刑判決を受けた。その後、久間氏は福岡高裁の2審、最高裁の上告審でも無実の訴えを退けられ、死刑囚となった。
確定死刑判決を宣告した陶山氏は2013年3月、福岡高裁の部総括判事を最後に依願退職し、現在は福岡市を拠点に弁護士をしている。
私は以前、飯塚事件に関する取材を陶山氏に申し入れたことがあり、電話で断られたため、氏が所属する羽田野総合法律事務所の入ったビルの前まで訪ねて再度取材依頼したことがある。しかし、陶山氏は「全然お話するつもりはありません」「黙秘です」「急ぎますので」などと頑なに拒否した。陶山氏にとって、飯塚事件のことは触れられたくない過去であるようだった。
◆執行を決裁の法務省幹部2人は検事総長に上り詰め、複数の大企業に天下り
死刑は、法務大臣の命令により執行される。しかし、その前に死刑執行の可否を検討するのが法務省の官僚たちだ。
私が行政文書開示請求などによって調べたところ、久間さんの死刑執行を決裁した法務官僚11人が特定できた。その名前を挙げると、尾﨑道明矯正局長、大塲亮太郎矯正局総務課長、富山聡矯正局成人矯正課長、坂井文雄保護局長、柿澤正夫保護局総務課長、大矢裕保護局総務課恩赦管理官、小津博司事務次官、稲田伸夫官房長、中川清明秘書課長、大野恒太郎刑事局長、甲斐行夫刑事局総務課長――の11人だ。
このうち、とくに中心的な役割を果たしたとみられるのが、小津博司事務次官と大野恒太郎刑事局長だ。2人はいずれも検察官で、久間さんを処刑台に送った後、法務・検察の最高位である検事総長まで上り詰めている。そして退官後も揃って複数の大企業に天下りするなどし、悠々自適で暮らしているようだ。
まず、小津氏は2014年に退官後、弁護士に。確認できただけでも現在はトヨタ自動車、三井物産、資生堂の3社で監査役のポストを得て、清水建設が設立した一般財団法人清水育英会で代表理事に就いている。
一方、小津氏の後を受けて検事総長となった大野氏も2016年に退官後、弁護士に。四大法律事務所の1つである森・濱田松本法律事務所に客員弁護士として迎えられ、伊藤忠商事、コマツで監査役、イオンで社外取締役を務めている。
私は前掲書を制作した際、この2人に対しても、久間さんに関する思いなどを聞くために手紙で取材を申し入れたが、当然のごとく断られている。
小津氏は手紙で返事をくれたが、〈6月16日付のお手紙拝受いたしました。小生に対する取材のお申し込みですが、退官後、このような取材は全くお受けしておりません。この度のお申し出もお受けすることはできませんので、悪しからずご了解いただき、今後の連絡もお控えいただきますよう、お願いいたします。用件のみにて失礼いたします〉と取材を断ることを一方的に告げてきただけで、取材を断る理由すら示さなかった。
一方、大野氏は私が取材を申し込んだ時はまだ現役の検事総長だったが、最高検企画調査課の検察事務官から電話がかかってきて、「今回の取材申し入れに関しては、大変恐縮なんですが、お断りさせて頂きたいということです」と告げられた。大野氏はいかなる理由で取材を断るのかと尋ねると、「とくに賜っておりません」とのことだった。
以上、村井温氏、村山弘義氏、陶山博生氏、小津博司氏、大野恒太郎氏という久間氏の生命を奪った5人の責任者たちの「今」を紹介したが、彼らは飯塚事件の再審可否決定が出る今日をどんな思いで迎えたのだろうか。そして決定をどんな思いで受け止めるのだろうか。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。