1月9日、板門店で「南北会談」が行われると決まったときに、「南北会談」の実施じたいに、この島国の政治家やマスメディアは冷淡だった。あの時期に朝鮮が五輪に参加すると予想した人はどれくらいいただろうか。
◆オリンピックは政治そのものである
参加どころか開会式では合同で入場し、女子アイスホッケーでは合同チームが結成された。「スポーツの政治利用」、「北朝鮮ペースに乗せられている」との批判が繰り返されたが、開会式の後半では韓国の有名な歌手たちがジョンレノンの「イマジン」を歌い、聖火点火者のキムヨナへ手渡されることになる聖火は、韓国と朝鮮の選手が二人携えて、長い階段を駆け上がった。
開会式ではIOCのバッハ会長が式辞でしきりに「平和」を口にした。会場の外では、韓国でも保守的な人たちの抗議行動も行われているが、マスメディアもさすがに、開会式で「演出」される「平和」を表立って貶す(けな)すことはできなかった。「オリンピックは政治の道具」どころではなく「オリンピックは政治そのもの」だと認識するわたしは、この光景が準備された演出にしても、非難の対象にあたるとは考えられない。どうせ政治ならマシな政治利用でいいじゃないか。
◆非凡な無能ぶりを発揮する安倍「制裁」外交
なぜならば、その裏で平和とは正反対に、まっしぐらの「北朝鮮制裁主義者」たる安倍をはじめとした、この島国の政権はひたすら「北朝鮮包囲連携が崩れる懸念(=韓国と朝鮮の融和)」、を叫ぶのみで、毎度外交に非凡な無能ぶりを発揮するこの島国の真骨頂ともいえるような的外れな態度に、相も変わらず終始しているからだ。朝鮮から金正恩の妹、金与正と金永南・最高人民会議常任委員長という、朝鮮の政権中枢にいる人物が韓国を訪問することだけでも(それがオリンピックを介在しての訪問にせよ)過去の歴史にはなかった、画期的な出来事であり、そこで文在寅大統領の朝鮮訪問が話題になったことは「朝鮮半島の緊張」を強める方向に向かう提案だろうか。
〈ペンス米副大統領は11日付の米紙ワシントン・ポストのインタビューで、北朝鮮との外交的な関与を拡大することで米韓が合意したと述べた。まず韓国が北朝鮮と対話した後、前提条件なしで米朝対話が行われる可能性があるとした。
ペンス副大統領は韓国で9日に開催された平昌冬季五輪の開会式に出席。米国に帰国する際の専用機内でインタビューに応じ、米政府が北朝鮮に対する「最大限の圧力」は維持する一方、対話の可能性にはオープンだとした。〉
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180213-00000000-reut-kr
と、韓国だけでなく、ついに米国も朝鮮との対話について検討を始めた。いつまでも「制裁!制裁!」と繰り言を続けているのは、安倍を中心とする、この島国の無能外交関係者やマスメディア及びそれに扇動された、不幸な庶民たちだけではないのか。
◆「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃した米国の過ち
外交の表裏には、必ず地下水脈のような通常人が知り得ない導線がある。ある日突然起きたように思われる事件や、政変にも必ず複合的な力学と打算、妥協が交錯する。最終的には「自国がどう有利な立場をとるか」が指標であっても、通常外交は「一定の理性」があるかのように見せかけないと、「沽券(こけん)」や「体面」を重視する権力者には格好が悪い。それが一定の見識ともいえる。
第二次湾岸戦争でイラク攻撃に対して、欧州では賛否が分かれていた。フランスは米国を中心とする「イラク攻撃推進派」に批判的で、2003年2月14日国連安保理事会でドミニク・ド・ピルパン外相が演説を行った。長い演説の中でピルパンは、
〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから。
そういう見通しの上で、効率的で平和的なイラクの軍縮に向けて日々前進している査察という選択肢があるのだ。結局、戦争というあの選択肢は、最も確実というわけではなく、最も迅速というわけでもないのではなかろうか?〉
と述べ米国が戦争を急ぐ姿勢に疑問を投げかける。結局「歴史的」とも評されたこの演説に耳を貸すことなく、米国を中心とした「多国籍軍」(その中には後方支援を担った自衛隊も含まれる)は「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃し、サダムフセインを殺した。
しかし、のちに明らかになったのは「イラクには大量破壊兵器はなかった」という事実だ。ピルパン外相は同演説の中で、繰り返し査察の成果を述べており、その事実は「イラクが大量破壊兵器を保持していない」ことを示しており、その時点で「多国籍軍」のイラク攻撃は根拠のないものだった。散々わがままを言いたい放題並べ、イラクの人びとを殺戮した、ジョージ・ブッシュは、そのご「われわれはミスを犯した」と発言したが、一方的な多国籍軍の殺戮行為を、「ミス」で済ませられたら、被害者はたまったものではない。
〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから〉
は正鵠を射ていた。イラクの政情不安・治安の不安定はイスラム国の登場などで、今日に至るも、解決の糸口すら見えていない。
◆覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない
朝鮮をめぐる情勢は、いま五輪中だからだろうか、いくぶん流動化してきたかのように見える。わたしは安倍と正反対に、朝鮮と韓国・米国・日本が対話によりすべての問題解決をはかることを希望する。いかなる理由によっても「戦争」の選択肢をすべての国は排除すべきだ。
戦後補償・賠償すら行っていない日本(日本ではほとんど報じられないが、世界の少なくない国々は日朝関係の基礎をそう見ている)、要らぬ軍事費の重みから解き放たれたい韓国、「経済制裁」を含む世界の包囲網から脱出したい朝鮮、赤字財政続きで、政府機関閉鎖の相次ぐ米国。どの国も「平和」を希求する充分な理由は(それと逆方向に進もうとする理由と同等に)保持しているではないか。理性が(私たち一人一人のなかに)あれば最悪の事態は回避できる。
もし回避できなければ、「日本も戦争に巻き込まれる」。あらゆる言説はその現実を前提に発されるべきだ。その覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。