賑やかにやって来た寄進者のお祭り行列

ビザ問題に突入していく中、ラオス行きが浮上、カティン祭が終わり、仲間の還俗も現れました。

◆カティン祭!

午前中、寺に得度式(私以外)の参列者のように、楽器吹奏隊と共に寄進者が踊ってやって来ました。聞いていたとおり、クリスマスツリーのような飾り木にお金(紙幣)を貼り付け、派手な衣装の女性たち中心に信者さんが本堂を回る行進。若い比丘達は私に「女の子撮れ!」と言う。今私はカメラマンではないが、本能的に出来るだけ接近しようと考えてしまいます。やはり今の立場としては無理があり、適当に撮るだけでも仕方ないところでした。

撮影を頼まれて集まった美女軍団

寄進された黄色い包みはこんな感じ(撮影は2017年のもの)

和尚さんとお話に来た常連の信者さんたち、皆、横座りです

お札のツリーを抱える美女

「あの木のお金、これだけあったらバンコクでどれだけ遊べるだろう」と考える比丘として不謹慎な私。

この賑やかな外から比丘は全員、クティに移動、昼食を含め、ホー・スワットモン(読経の場)に居ること多い1日。タイでは横座りが正座とされる座り方で、足を組み替えることは出来てもこれが長いとやっぱり足が痺れます。この祭りの読経は所々間が空くところはあるも1時間以上続き、唱えられない私は合掌を続けるのみ。

ところが足痺れよりキツイのが眠気。読経が子守唄となっています。舌噛んで堪えるも、足の痺れより眠気が勝ってしまうのだから、これこそ必死に堪える修行。長い読経が終わると信者さんは和尚さんのもとで身の上話をする者と徐々に帰る者、我々はイベントスタッフのような大道具・小道具の片付けをして、ようやく長い1日が終了……と思ったら、夜には本堂で、これまでの総合的な懺悔の儀式があり、また長い読経と和尚さんの説法が続きました。天井高い本堂で大勢の読経が響くと夜では不気味な響きがあります。やると思っていた二人組んでの懺悔の儀式は無く、出来ない私はホッとするところ。

藤川さんは一時僧時代に巡礼先の寺で、二人組んでの懺悔の儀式を突然やらされても出来ず、その場で教わってこなして、更に1日で覚えきって翌日にはちゃんとこなしたことがあるそうで、私がそこまで追い詰められることなく済んだのは、この寺の緩さなのでしょう。

◆ラオス行きが視野に!

観光ビザ延長申請に、もし滞在日数が残り3日しか無い状態で入国管理局に行って、延長を認めらなかった場合、唖然と途方に暮れるところだったでしょう。

改めてノンイミグレントビザ(留学)を取ることになったので、得度した寺の証明や、比丘であることを証明する、サンガ(僧組織)から認可を貰わなければなりません。

藤川さんにビザ問題を指摘された時点で日数には充分余裕があったので、選択肢がいろいろありました。還俗も一つの手段。「もう辞めたい」と弱気になっていたところで、藤川さんから「ラオスへ行くぞ!」と提案されました。

「マレーシアはイスラム教の多い国、仏教の寺は無いから、寺に泊まることも托鉢も出来ん。ラオスはタイと同じ仏教国やからラオスに行こう。社会主義国の仏教を見ておくのも勉強になるぞ。ただ、ラオスに入るにもビザが要るけど、バンコクのラオス領事館行ってビザ下りんかったら厄介やからな、面倒な手続きやってくれる旅行代理店に頼むから、来週バンコク行くぞ、アーチャーン(和尚)は“ハルキを3ヶ月は寺から外(外泊)に出すな”と言うとったけど、ビザ取らないかんのやから、しっかり言うとけよ!」と、私のビザ問題だから私が言うのは当然のところ、ちょっと和尚さんには言い難い相談でした。

これまで藤川さんは私を無視していたが無関心ではなかった。そしてラオスを視野に「もうちょっと頑張ろう!」と再度気合いを入れるのでした。

寄進者の方々でクティ内はいっぱいに

比丘尼と言われる尼さんたちも、タイ国家では未公認ながらしっかり根付いています

◆気難しい和尚さんの許可は!

暇な時間、街には一人で何度か出向いていました。撮影した証明写真を受け取りに、郵便を出しに、フィルム現像とプリント注文に。証明写真はケーオさんに渡し、比丘達を撮った写真は、なかなか撮られる機会が無いタイ人だけに、かなり喜ばれ、カメラ効果を発揮する私の存在でした。手紙は春原さんや、得度したことを知る友達に送っていました。

カティン祭が終わって2日後、洗濯しようと葬儀場近くの水汲み場に行くと、ワイシャツにジーパン姿の若者が先に黄衣を洗濯していました。誰かと思えば昨日まで黄衣纏っていたクンペーンくん(画像の青年)ではないか、還俗したんだ。何か自由の身になっている姿に羨ましくなりました。

そこへケーオさんが記載が済んだ比丘手帳を我々の分2冊持って現れ、「和尚のところへ行ってサイン貰って来い!」と言われました。早速、和尚さんの前に“二人”で行ってクンペーンくんは御丁寧に三拝しますが、私はいきなり本題へ。

「来週、バンコクに行かせてください……。タイに滞在するビザを取る為に、ラオスに行かねばなりません……なので、提出書類として必要なので、比丘証明書(手帳)にサインください!」。藤川さんに言われたことを回りくどく話し、「バンコクに行かせてください……」と言った後はあまり正確に伝わっていないような中、「ダーイ(いいよ)!」といとも簡単な許可。和尚さんは私がお願いすることはいつも簡単に「ダーイ!」ばかりでした。出家願いも「ダーイ!」、「写真屋行って来ます」と言っても「ダーイ(行って来い)」、「郵便出して来ます」と言えば「ダーイ(出して来い)」。

和尚さんから見れば、日本の観光客で信仰心も無いと見えた私はたいした存在ではなく、修行者であるべき藤川さんが頻繁に遠出願いに出ることには「こいつ、遊びに行ってるな?」と胡散臭く思っているような気がしてきました。

右が還俗前のクンペーンくん

手前の私服の男性は還俗したばかり、私は彼の黄衣姿を知りません

還俗したクンペーンくん、黄衣は洗って寺に帰します(サンガに戻す)(1994.11.7)

◆比丘手帳完成!

和尚さんのサインを貰うと今度は「ワット・ヨームに行け!」と言うケーオさん。この地域を代表する高僧の居る寺で、サンガの認可を貰ってこそ、比丘証明書(手帳)は完成となります。クンペーンくんは寺に乗って来ていたバイクで、私に「後ろに乗れ!」と言う。

私は「待て、俺は黄衣纏うのに時間掛かるんだ、ゴメン!」と言うとサッサと私に纏い付けてくれたクンペーンくん。さすがに速かった。そして、「腕から肩はここをこう締めるんだ!」と黄衣を掴みながらアドバイスしてくれ、よりコツが分かった気がしました。しっかり纏えば左腕はキツメの長袖ワイシャツ着たように肩から袖までがしっかり締まるのだ。「黄衣なんかクルクル丸めて巻き付けるだけや!」と藤川さんが言っていた意味が改めて分かる気持ち。

行った先のヨーム寺で、ここはクンペーンくんと共に私も高僧和尚さんの前でしっかり三拝。後はクンペーンくんが御丁寧にお願いしてくれて、手帳に貼られた証明写真の上に、このお寺のハンコが押され、この和尚さんのサインがされて、昔のパスポートのように、何とも頼りない感じはするものの、正式な比丘身分証明書完成となりました。クンペーンくんは試験の成績良かったのか、他の者より授かる証明証類が多いようで、還俗後の受取りになったようでした。

そして11月半ば、バンコクに向かう日がやって来ました。托鉢を済ませた後、藤川さん行きつけのバンコクの寺に泊まる準備をして出発します。それは初めての外泊。当然、托鉢の準備もして行きます。この黄衣を纏って歩くバンコクの街が楽しみでした。

一緒に修行した仲間と収まるクンペーンくん(1994.11.7)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』