伊勢崎賢治「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」(2018年2月6日現代ビジネスより)

 

東京外国語大学教授で自称「紛争屋」の伊勢崎賢治が、本音を語りだしている。

「リベラルな実務家」と長らく人びとの目を欺き、「マガジン9」などにも顔を出していた伊勢崎は、「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」の中で倒錯しきった私見を述べている。

伊勢崎は、〈僕のように多国籍軍と一緒に働いてきた実務家にとって、現場で常に念頭に置いている最大の懸念は、我々自身の行動が国際人道法の違反、すなわち「戦争犯罪」を起こすか、である。多国籍軍は、それぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから、武力の行使は原則的に「自衛」である〉

と、〈多国籍軍はそれぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから武力の行使は原則的に『自衛』である。自衛のための武力行使ができる『開戦法規』上の要件は、まず攻撃を受けることである。そこを戦端として『交戦』が始まる〉という。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

この一文だけで、伊勢崎の論が破綻していることが証左される。「一応ちゃんとした法治国家」から派遣されてくれば、武力行使は「自衛」とは短絡にもほどがある。米国は伊勢崎に言わせれば「一応ちゃんとした法治国家」となるのだろう。ではこれまで米国が行った「自衛」はすべて、「攻撃」を受けてのものだったろうか。「紛争屋」伊勢崎は「一応ちゃんとした法治国家」の寄り合いであれば、それ自体が正当性を持つかのように前提を立てる。

これは、米国を中心とする、イラク侵略、アフガニスタン侵略、ソマリア内戦干渉などを当然知っている(伊勢崎はアフガニスタンには自身も武装解除でかかわっている)者の発言とはにわかには信じがたい。

アフガニスタンから「多国籍軍」にいったいいつ、どんな「攻撃」があって「開戦」したというのだ? 米国での多発ゲリラ事件(9・11)の主体は「アルカイダ」じゃなかったのか(のちに国際貿易センタービル倒壊の不自然さや、ペンタゴンの事故現場の検証と、墜落したはずの旅客機乗客とその家族の通話記録、機体の残骸などを見るにつけ、この多発ゲリラが「アルカイダ」主導で行われたものなのかどうかに、わたしは疑念を抱いている)。「アルカイダ」はアフガニスタン(国家)じゃないだろう?

アフガニスタン周辺に展開した多国籍軍へアフガニスタン側から、「先制攻撃」があったのか?そんな話は聞いたことがない。イラクも同様だ。イラクから多国籍軍への攻撃の後に「自衛」が行われた事実などないじゃないか。

そして伊勢崎は「つまり、自衛は、warなのだ」と言い切るが、これも言葉としての「自衛」を過大に膨張させ過ぎだ。「自衛=war」とする論理は、あまたの戦争が「自衛」あるいは「自国の権益保護」を言い分に行われた歴史に鑑みれば、合理的であるかのように騙されそうだけれども、それは戦争を肯定する連中の話法であり、「war=自衛」は戦争遂行者の自己弁護である。「自衛」は武力によらずとも、条約や経済交流、外交交渉、国連での仲裁などいくらでも手段はある。「自衛は、warなのだ」は短絡に過ぎ、説得力を持たない。

伊勢崎は〈日本人向けにさらに言うと、個別的自衛権もwarなのだ。生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っているそれも、war(戦争)なのだ〉と「生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っている」と勝手に決めつけているが、その日本人の中にわたし(わたし以外の少なくない人びと)は、包摂されない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

政府が勝手に憲法違反の自衛隊を設立し、政府見解「個別的自衛権は許される」との詭弁を長年、改憲のために国民を騙す洗脳の道具として使ってきた事実は知っている。伊勢崎、日本政府にもう一度下記の日本語を読んでもらいたい。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いわずもがな「日本国憲法9条」だ。この日本語のどこを、どう読んだら「自衛隊」の存在が許されるのだ(ちなみにわたしは護憲派ではない。明確な改憲派だ。ただし自民党などが進める改憲とは本質的に逆の方向に向かっての改憲派である)。

眼鏡をかけた若手の気鋭憲法学者も「個別的自衛権」が当たり前のように語っている。

先に述べたように長年政府見解も「個別的自衛権が憲法上認められる」としてきた。みなさん言いにくいからわたしが代わって明言する。自衛隊も、個別的自衛権も小学校で習う日本語文法で憲法9条を読めば、許される道理がない。この条文を読んで、自衛隊合憲、個別的自衛権は許されると解釈する人は、悪辣な「なにか」を目指す政治屋か、日本語の基礎がわかっていない人である。

さらに伊勢崎は、〈交戦しそうなら、退避すればいいじゃないか、として、わざわざ交戦の可能性のある現場に国家の実力組織を派遣することを正当化し、「解釈改憲」してきた日本〉と「解釈改憲」を批判するが、この批判は歴代政権に向けるべきもので、「『解釈改憲』」してきたのは、「日本」ではなく「日本政府」と明確にしてもらわねば困る。日本人の総意で「解釈改憲」がなされた事実などない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

〈専ら「自衛」、つまり専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家の責任として、自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない。通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国が、である〉と伊勢崎は嘆く。

伊勢崎は大学教員だが、この文章は主語と述語がねじれている。〈専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家としての責任として自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない〉の意味するものは何か? その主語を伊勢崎はもったいぶった倒置法で〈通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国〉などと書き、「日本」と明示しない。がそれにしても「地球上の全ての法治国家」にイスラエルは入るのか? 米国は? シリアは?

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

わざわざ太字にして〈なぜ、在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するリベラルが、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機を心配しない〉と、大発見でもしたかのように伊勢崎は舞い上がっているが、「リベラル」とはだれのことなのだ。少なくともわたしのことではない。わたしは「在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するし、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機は憲法違反だから一刻も早く撤退すべきだ」としか考えようがない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

極めつけは〈9条論議は、一度、英語原文に立ち返るといいと思う。「押し付け論」など、どうでもいい。GHQから変わらない英語原文だ。9条が、2項で、高らかに放棄する「交戦権」。日本人は、これを、「交戦する権利」と捉えているようだ。その当たり前の権利を平和のために放棄するのだからエラいのだ、と。しかし、上記ように、「交戦する権利」は、もう、ない。9条ができる前から、である〉

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

ここまでくると大学教員の発信とは信じられない。まったく実証的ではないばかりか、伊勢崎が倒錯に陥っていることは、次の部分で確定する。

〈筆者には、憲法学者をはじめ、いわゆる護憲派という政治スタンスをとる親しい友人の専門家たちがいる。その友人たちには、国民投票が現実味を帯びてくる将来に向けて、これからも、ブレることなく、主張を続けていって欲しい。護憲の「精神」は非戦であり、それは正しいのだから。敬意を込めて、そう思う。しかし、護憲のための解釈改憲は「矛盾」である。その矛盾が実際の現場で引き起こす問題の明示を護憲派への攻撃と捉える人々がいるが、護るべきは解釈改憲ではないはずである。だから、自衛隊は違憲であると言い続けてほしい。日本共産党のように、(国民の好感度に政治的配慮して)一定期間は合憲、などと膝の力が抜けるようなことは、絶対に言わないでほしい。僕の友人たちがそうでないのは分かっている。しかし、9条の神格化は、避けて欲しいのだ〉。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

いったい伊勢崎は何を主張したいのだ?「護憲を貫け!共産党のように膝の力が抜けることは絶対に言わないでほしいけど、9条の神格化は、避けて欲しいのだ」と。どうしろというのだ。伊勢崎?

その前後も伊勢崎独自の歴史解釈や理解が、披露されるがどれもこれも論拠が薄く、結果として現状の「改憲策動」に与する分裂した主張に終始している。伊勢崎は「紛争屋」だから、現場は知っているのだろうけども、憲法と法の関係、さらには日本の司法権の問題などにつての視点がない。なにも護憲派は「9条」を金科玉条に唱えていた人ばかりではない。「小学生が読んでも憲法違反」である自衛隊の存在を裁判所に問うたら(違憲立法審査権の行使)「統治行為論」(「国の統治にかかわることを裁判所は判断できません」と、1959年最高裁は砂川事件で裁判所の役割と、三権分立を放棄した)で憲法と現実の不整合を正す試みもなされたことを、伊勢崎は知らないはずはあるまい。

この手の輩がこれから、跳梁跋扈するだろう。「リベラル」ズラだったり、「リベラル」に理解ありそうで、その実「現状肯定」に最大の価値を見出す、不埒な連中が。識者や有名人で「改憲」したい者は、ごちゃごちゃ御託を並べずに、はっきりそう表明しろ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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