ビザの用件も第一段階は終わって、予定どおりワット・タートゥトーンにお泊り準備をして、藤川さんのお遊び相手をしてくれる、お知り合いのマンションに向かいます。
◆藤川さんから接近!
ワット・タートゥトーンは広い。サーラー(葬儀場・講堂)がいっぱいあって迷子になる広さ。それに比例する葬儀の多いこと。改めて人は日々死んでいくのが実感されます。
藤川さんが旅に出る場合のバンコク起点となるお寺だけあって慣れたもの。和尚さんにお会いせずとも、我々が泊めて貰うクティの一人の比丘にお会いして部屋に案内して貰いました。
このお坊さん、30代半ばぐらいで若いがキャリア長く、結構位の高い比丘なんだとか。でも低姿勢で、逆に藤川さんに気遣いながら「自由に使ってください」と言い、どこかに行ってしまいました。年輩というだけでキャリア浅い藤川さんの方が偉い感じ。
部屋に入ってから重い荷物(バーツや黄衣一式が主)を降ろすと、藤川さんはここから私の出家前のように、高笑いも出るほど朗らかに話します。それだけで嬉しく、これが私が当初から想定していた触れ合いある寺生活だったのです。
昼の、東急デパートで車の中で話していたことは、ウチの寺の若い坊主らのこと。
「奴らは中卒程度の田舎者やぞ、世間知らずばっかりや、日本の教育も問題はあるけど、ワシら日本人はアジアの他の国から比べて、教育制度がしっかりした環境で育ったんやから、そんなお前が奴らに舐められとったらアカンぞ!」
そんな話の続きで、「メガネのブンは性格ええかもしれんが、先行き何も考えとらん生ぬるい奴やぞ、コップらの将来見据えた頭ええ奴らと話しとる方がええんちゃうか?」
デックワットを含め、いい奴も居れば、頭悪い奴、性格悪い奴も見えてきたこの頃、頭に入れておくべき忠告でありました。
しばらく話してから「外行こう」と言う藤川さん。また数分かけてマンコンに纏って外に出ると待っていた藤川さんが、
「今、サーラーで日本人の葬式やっとるが、日本式とタイ式に分けてやるらしいぞ、日本から僧侶やら高級な喪服着た、ええ格好の日本人が何人も居って、金持ちらしい葬式やな!」と嫌味な言い方で葬儀の様子を話してくれました。
◆元ビジネス仲間多い藤川さん!
その葬儀は覗かず、道路を渡って市内バスに乗ってバンコク中心部方向へ向かいました。「どこに行くんですか?」と聞くと、
「町田さんのマンション行くんや!」と応えます。6月に成田空港で藤川さんを迎えた町田さんとの再会になります。
10分ほど走ったところのソイ(路地)27の向かい側で降り、道路渡ってソイに入ったところのマンションのロビーの椅子に座っていたのは、町田さんと小林さんという年輩の方と女性1人で皆、藤川さんとバンコクでの元ビジネス仲間。年寄りの雑談は日本とアジアの経済の話、戦争の歴史、成人病の話。
「ベトナムはタイ以上のスピードで発展するやろうなあ!」
「イサーン(タイ東北部)の人は本当に貧しいんか? 自然に適った風通しのいい高床式があるのに出稼ぎした奴らによって密閉された日本式住居が増えて、その結果エアコンが必要になるやろ。文明が幸せを壊しているんじゃないか?」
藤川さんは糖尿病を患っていても、「比丘になって朝昼だけの食事で体重が10kg減って逆に調子は良く、今迄いかに無駄なものが身体に付いていたか分かる」と言い、「我々はいかに無駄に食べ過ぎているかだな」と応える町田さんたち。
若年者の私はほぼ聴いているだけでも勉強になる話でした。
◆夜も更ける頃、早く帰らねば!
藤川さん達は話が尽きないが、夜9時になる頃、寺に帰るには比丘がうろつく時間ではない。やって来たバスに乗ると、すぐにドアー寄りの席を譲られ、乗客は「こんな時間に比丘が乗ってくると思わなかっただろうな」と思うと恐縮してしまいます。
寺が近くなったところで藤川さんに促され立ち上がるも、バスは交差点手前の信号待ちで停車。何を思ったか、藤川さんはそこでブザーを押してしまいました。いつもながら運転手さんがドアーを開けます。
「なんで押すんですか!」とまた私は語気強めて言ってしまいました。
バンコクでバスに乗り慣れた人には分かる、ブザーを押すタイミング。誰も降りないのでドアーは閉められました。ああ恥ずかしい、でも藤川さんは涼しい顔。
日本もタイも路線バスは基本的に停留所しか乗り降りはできません。昔ながらの扉開きっぱなしのバスは、止まっていればどこでも乗降可能ですが、電動式ドアーバスは信号待ちでも運転手がドアーを開け、大概は降ろしてくれます。停留所で降りる場合はそのちょっと手前でブザーを押さねばなりません。そこで一緒に数人の乗客も降りました。
「寺の門入ったら纏いを右肩出し(ロットライ)にせなアカンのや!」といきなり言う藤川さん。私は時間が掛かるので面倒なところ、なぜかいつも気が付いて助けてくれる人が現れます。ここでも通りがかりのオジサンが慣れた手付きで手伝ってくれました。そんな困った新米比丘を助けるのもタンブンなのでしょう。
◆続く藤川さんの忠告!
寺のクティに帰って水浴びして、藤川さんと12時ぐらいまで横になって話していました。
私が借金してタイに来ていることを薄々知っている藤川さんは、
「お前は来年、年収500万円無いと今の仕事やっとる意味無いぞ!」
「今、親が死んだら葬式出せるか?」と耳の痛いことを言います。
藤川さんは中学1年生の頃、盲腸炎で苦しんだ時、父親が腕組んで悩んでいたと言います。
医者が父親に手術する承諾を求めているのに、「金無いからなあ~」の繰り返し。医者は呆れ怒り手術の手配に踏み切ったという。「父親は毎日酒喰らって暴れて“アル中”と言われる日々で、全く金無かったからな」と言う藤川さん。
「だから俺は自分の娘が骨折した時、金かき集めて女房に“金の心配はするな”と言うた。父親として責任あると思うたからな」
「父親と母親と兄弟末っ子の3回あった葬式はみなワシが出した。兄弟末っ子の健が自殺した時は兄弟6人も居って、誰もそれまでに健が苦しんでいたことに気が付いてやれんかった。母親がボケてて“健ちゃんに頼っていた”と聞くし、それらが辛かったな」
そして私に「結局は金や!」と言い、
「1000万円稼ぐ奴より2000万円稼ぐ奴の方が甲斐性あるんやぞ!」と言う藤川さん。
決して「金があれば何でも出来る、何でも買える、女も自由にヤレる、そんな好き勝手な人生を送れる」と言っているのではない。バブル期に地上げ屋やって、そう思って生きてきた藤川さんが、人間はどこまでいっても欲が尽きないことに気付き、幸せとは何か、一時出家前に疑問に思い、愚かな我が身に気付いて、改めて再出家に至っている現在でした。
独身でも30歳越えた男が、結婚して妻子を養う甲斐性はあって当たり前。だから「金持ちになれ」ではなく、「甲斐性ある人間になれ」とだけ言いたい藤川さんなのでした。
藤川さんは散々喋っておいて、「もう寝よか!」と言って電気を消されました。
「私の人生は甘いなあ」と思える対称的な藤川さんの人生。バスのブザー押したぐらいで怒っている私の心の狭いこと。そこまで考えるに至る前に、疲れて眠りに着いてしまいました。明日はまた世間知らずの居るペッブリーの寺へ帰ります。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」