教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。
いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。
◆死刑に慣れてしまったわれわれ
国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。
今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。
さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」
国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。
かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。
◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり
ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。
もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。
▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)