◆ワット・チェンウェーでの触れ合い
タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”
宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。
そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。
そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。
デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。
ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。
そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。
更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。
しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。
本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。
小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。
◆ビエンチャンでの托鉢
朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。
先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。
托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。
ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。
食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。
◆タイ領事館での出会い
「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。
寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。
タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。
そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。
このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。
領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。
ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」