日本史上最大の英雄織田信長は、黒幕の謀略によって殺されたのでなければならない。これが「家来に殺されたバカ殿」ではない、求められる歴史ドキュメントなのである。
◆安部龍太郎の『信長はなぜ葬られたのか』
直木賞作家・安部龍太郎の『信長はなぜ葬られたのか』https://www.amazon.co.jp/dp/4344985052/(幻冬舎新書)が読まれているようだ(公称7万部)。そこでさっそく読んでみたが、小説『信長燃ゆ』のモチーフをエッセイにしたようなものだった。
史料的には特筆するようなものはない。たとえば、幕末に匹敵する尊皇運動が起こり、関白近衛前久が信長殺しをくわだて、明智光秀に白羽の矢を立てたというもの。そのいっぽうで、イエズス会は神になろうとした信長を倒すために、これまた信長包囲網を形成する。そしてポルトガルを併呑したスペインとの交渉が決裂したとき、賽は投げられた。秀吉も密偵の知らせでこれを知っていたが、あえて動こうとはしなかった。と、作家が勝手に「思う」のがこの作品のすべてだ。
イエズス会とキリシタン勢力が大きな役割りを果たし、権力中枢(信長家臣団・朝廷と貴族たち)では守旧派と改革派がせめぎあう、テーマとしては面白いことこのうえないが、じつは歴史研究ではほとんど異端の「朝廷黒幕説」「イエズス会の陰謀説」を足してみたものの、戦国時代のゴッドファーザーこと黒田官兵衛や近衛前久らの動きが有機的に構成されているわけでもなく、買うんじゃなかった感がつよく残った。いや、初めて氏の作品を読む人にはおそらく新鮮に感じられるにちがいない。何しろイベリア両国(スペイン・ポルトガル)の植民地政策(外圧)に対して、信長が採った策が妄想されるのだから。
作家の歴史エッセイは、研究書よりもわかりやすいという原理からか、ベストセラーになることが多い。秋山駿の『信長』は流麗な文章で織田信長の足跡を追い、今日も隆盛な信長ブームをつくり出した。上杉謙信をあつかった津本陽の『武神の階(きざはし)』も史料を羅列したエッセイ風の読物だが、地方紙に連載時から評判を呼んでよく読まれた。
ただし、原史料や軍記ものをほとんど無批判に取り入れている結果、すこしでも歴史研究に馴染んだ向きには読み飽きてしまうのだ。安部龍太郎の妄想力と戯れるのは悪くないけれども、朝廷黒幕説やイエズス会黒幕説など、史料的な裏付けが希薄な論がはびこるのはよろしくない。というわけで、安部作品のバックボーンになっている立花京子(故人)のイエズス会黒幕説を俎上に上げてみよう。
◆立花京子のイエズス会黒幕説は『信長と十字架――「天下布武」の真実を追う』
立花京子のイエズス会黒幕説は『信長と十字架――「天下布武」の真実を追う』https://www.amazon.co.jp/dp/4087202259/(集英社新書)1冊である。その主要な論点は、南欧勢力(イエズス会・キリシタン・ポルトガル商人・イベリア両国国王=フェリペ2世)が信長に天下布武思想を吹き込み、信長はその軍事技術的な援助のもとに天下統一を進めた。信長が神になろうとしたので、光秀に信長を討たせた。さらに謀反人の光秀を後継者にはできないので、秀吉に光秀を討たせたというものだ。
イエズス会の軍事技術的な援助とは、鉄砲の開発と硝石の輸入に関するものだという。その論拠として、キリシタン大名大友宗麟の書状、すなわちイエズス会宛の「毛利元就に硝石を輸入しないように」というものを挙げている。
だが大友や毛利にかぎらず、鉄砲で武装した大名は無数にいた。イエズス会と結んでいなければ、鉄砲の玉薬の原料である硝石が手に入らないのであれば、東の上杉氏や武田氏、北条氏などの有力大名はどうしていたのだろうか。そもそも硝石が輸入するしかなかった、という史料はない。硝石を鉱物か何か埋蔵されたものと考えるから、輸入に頼らざるを得ないことになってしまうのだ。硝石は日本のような湿度の高い家屋でふつうに採取できる、有機化合物すなわちバイオテクノロジーなのである。人間や動物の排尿にひそむバクテリアが化学変化して結晶化したものが硝石なのだ。つまり床下から採取できる、きわめて身近な物質である。国内で大量生産されるようになるまで、輸入先はもっぱら東南アジアだった。けっきょく、イエズス会に依頼したにもかかわらず、大友宗麟は毛利元成との門司城をめぐる五次にわたる攻防で敗北しているのだ(門司城失陥)。イエズス会の実力がどれほどのものか知れるといえよう。
◆イエズス会という修道会がどのような組織なのか
そもそもイエズス会という修道会がどのような組織なのか、立花京子も安部龍太郎も調べた記述・形跡がない。イエズス会はカトリックだが、プロテスタントの宗教改革運動に対抗するために若い修道士を中心に組織されたものだ。日本の戦国時代には全世界に1000人の会士がいたという。
しかし、たった1000人なのである。日本には使用人もふくめて数十人といったところであろうか。イエズス会の会士がすべて、武器商人であったり技術者であったわけではない。ポルトガル商人をともなう場合はあったかもしれないが、ルイス・フロイスの『日本史』にも『イエズス会士日本通信』にも、商人として旺盛な活動を記したものはない。むしろ南米においてはイエズス会はポルトガル商人と奴隷の売買をめぐって激しく対立している。そしてナショナリズムの台頭したイベリア両国から、イエズス会は排除されていくことになるのだ。
◆立花京子と安部龍太郎は決定的なことを見落としている
本能寺の変後のイエズス会の動向について、立花京子と安部龍太郎は決定的なことを見落としている。本能寺の変が安土城に伝わった翌日、オルガンティーノをはじめとするパードレ(司祭)とイルマン(修道士)および信者の総勢28人は、琵琶湖の沖島に退避しようとする。なぜ信長謀殺の黒幕が退避しなければならないのか、もちろんイエズス会黒幕説は説明してくれない。安土城を脱出した一行は、途中で追いはぎにあってしまう。命よりも大切な聖書を奪われ、衣服も奪われたという。沖島に着いてみると、こんどは漁民たちが湖賊の正体をあらわし、イエズス会の面々を監禁してしまった。何のために黒幕として陰謀を働いたのか、これではわけがわからない。イエズス会の面々は信長からは多大な恩恵を受けたが、光秀からは何も得られなかったのである。そもそもイエズス会は光秀を反キリスト主義として忌み嫌っていた。庇護者である信長がみずからを神にたとえたとしても、逆らうだけの力も意志もなかったはずだ。
それにしても、信長を英雄視するようになったのは、ここ20年ほどのことだ。安部作品も例にもれず、信長の合理主義的な発想とその偉大さが物語の主柱である。戦後、経済成長期には立身出世のスーパースターとして、豊臣秀吉がもてはやされた。高度成長で企業が安定的な業績をおさめるようになると、経営論としての徳川家康論が大勢を占めた。おりしも、山岡荘八の大河小説『徳川家康』がサラリーマンの愛読書となった。
戦前はじつは上杉謙信と楠木正成だった。戦国武将の人気はそのまま、世評を映しているのだといえよう。いま、信長がもてはやされるのは、強いリーダーが待望されているからであろう。
お友だち政治で失政だらけの安倍晋三の人気が、不思議なまでも保たれているのは、ほかに強気のリーダーが居ないからではないか。慎重で何もしない指導者よりも、危険だが改革と豪腕の指導者が望まれる時代。それはファシズムの時代によく似ている。(このテーマ、断続的につづきます)
▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)