◆眠そうなネーン達!
ネイトさんは、12月14日に我々と突然出会い、18日には出家が認められるという
「早過ぎだろ」と言えるぐらい早い展開だった。
倉庫部屋に戻って寝るも、私はお腹痛くて深夜に2回トイレ行く。12時23分、3時38分。お腹は不調のまま平行線なのである。
もう鐘が鳴る時間である。まだ暗い境内にある本堂に向かい、4時の読経に参加してみる。プラマート和尚さんがマイクを持って先導する。
「ヨーソー パカワー アラハン サンマー サンプットー」から始まる毎朝の経文であるが、経本を持って文字を追っていくと5行ぐらいで見失ってしまう。日本語だったらもっと追えるが、タイ文字ではもう追えない。
途中、後方を振り返った藤川さん。私に「壇に上がれ」と床を軽く叩く。読経の場は比丘数名が座れる壇があるが、基本的に比丘は壇上、ネーンは壇下になるらしい。私は新米比丘なので遠慮していたが、空席がある限りは比丘1日目でも壇上となるようだ。
始まる頃はプラマート和尚さんと我々日本人の他、真面目な比丘2名程しか居なかったが、少しずつ遅刻者が入って来る。読経後、プラマート和尚さんは後ろに向いて座り、点呼を取る。名前を呼ぶと「マーカップ(来ました)!」。日本で言う「ハイ!」に相当する返事。総勢15名程と見える。後方はほぼネーン達だ。やっぱり眠そうな顔。慌てて黄衣纏って小走りで来るのだろう。今日は遅刻者多いネーン達に怒ったプラマート和尚さん。
「他所から来た日本人がしっかり参加しているのにお前らダラしないところを見せるな!」と言うような感じだった。
◆茶色い僧衣
朝食後、藤川さんはネイトさんを連れて、黄衣を買いに出掛ける。私はお漏らししないか不安で行かなかった。近くにトイレが無いと危なくって何も出来ない。そんなトイレ往復から戻ると、早くもネイトさんらが帰っている。
黄衣三衣2着とバーツ(お鉢)で3500バーツ(14000円ぐらい)だったらしい。見てみると、茶色い僧衣だった。しまった、無理してでも私も行けばよかった。
たぶん藤川さんが「茶色にせえや!」と言ったのだろう。「やられた」といった後悔に変わる。でもこれらは全て藤川さんが払ったらしい。何か嫉妬を感じるなあ。
◆藤川さんは私の親!?
またメコン河を眺めに土手に向かうと、本堂で寝起きするオジサン比丘が「コーヒー飲まないか」と招いてくれた。このオジサン、比丘となって2年ぐらいで、元々はトラック運転手だったという。ノンカイに65年住んでいるそうだ。このオジサンにもこの土地で生きて来た人生のドラマがあるのだ。この寺の前を何千回往復されたことだろう。
ネイトさんもやって来たので、オジサン比丘にコーヒーを勧められる。また他愛も無い話の中、「俺、残って得度式撮ってあげたいなあ」と言うと、
「いいですね、そうしてください」と応えるネイトさん。そうか、それ可能だな。
夜、藤川さんに「俺、残りたい!」と話すと、
「お前一人残るのはダメや、タムケーウ寺の和尚から見れば、ワシは保護者で、お前は子供や。お前を置いてワシだけ帰る訳にはいかん」と言う。
「こんな大人が」と思うが、私をこの仏門に導いた師匠であるといえば、そういうことになるのは仕方無い。
プラマート和尚さんに延期を申し出る。「24日まで居させてください」と。
了承は簡単即答だった。滞在延期決定。
翌日の朝食時、プラマート和尚さんは我が寺の、ワット・タムケーウに電話していきなり私に携帯電話を渡される。こんなところで、私は我が寺の和尚さんの名前を知らないことに気付く。「ハルキ・プーッナカップ!」と自分の名前言って、何とか「25日に寺に帰ります」と話す。その事情までは言葉が出なかった。その事情は代わってプラマート和尚さんが伝えてくれた様子。
朝食後、ネイトさんに付いて来てもらって、ノンカイ駅で切符の変更申し出るが、すんなり受け付けて貰えた。手数料50バーツと、座席は藤川さんと離れ、寝台は二人とも上段になるが、それぐらいは仕方無い。
よかった。あと4日長く居られる。お腹の具合も悪いから、今日こんな状態で夜行列車に乗るのは危険であった。
◆ミーチャイ・ター祭り!
寺に戻ると「こっちでしか見れん、面白いことやっとるぞ」という藤川さん。
何かの祭りの準備に入っている様子。
「毎年この時期、在家信者さん皆の健康と、この寺の繁栄を祈願するお祭りがあるんだ」という大雑把な話しか聞けなかったが、この準備で昼食はヨーム(在家信者さん)による豪華な寄進。サーラーで比丘達も並んで座り、プラマート和尚さんは私に「写真撮れ」と、またこの寺でもカメラマンを任されてしまう。他の寺から高僧は招かれているし、ミーチャイ・トゥン和尚さんも来ているし、立って歩いて失礼なことしたかもしれないが、カメラマンに徹して踏ん張ってみた。
先週すでにミーチャイ・トゥンで会っている信者さんも居て、私が日本人であることを他のオバサン達に教えたようだ。瞬く間に情報が広まるの早かった。
◆藤川さんの吉本話
午後も外で第2部のお清めの読経が続いていた。やがて信者さんも比丘も皆で後片付けに掛かり、終わった頃、部屋に戻ると、私はお腹の調子の悪さで外出はしないで寝ていたが、藤川さんは散歩に、ネイトさんは得度式に際し、親代わりをお願いに知り合いのオバサン宅へ出掛けたようだった。
ネイトさんは帰ってから「街中で読売新聞売ってましたよ」と言うと、藤川さんは早速100バーツ渡して「もう一回行って買うて来て!」とお願いする。
私が「後で俺にも見せて!」と言うと「イヤッ、捨てる!」と藤川さん。
「じゃあ拾って読みます!」と言うと、「やっぱり燃やそう!」と返す藤川さん。
こんな意地悪な対話に笑って聞いてたネイトさん。こんな冗談言えるほど、より朗らかになれたのもネイトさんが現れてから、この寺での会話からだった。
過去の見た聴いた話題にも花が咲く藤川さん。
「吉本(花月)はオモロイぞ、朝10時から始まって、1日3回舞台に立つ訳や、新人漫才師の女の子のコンビがボケと突っ込みやるが、朝から仕事も行かんと酒飲んで、3列目ぐらいで漫才見とるオッサンがそのネタ覚えてしもうて、入れ替えの無い昼の部で、同じ流れのウケるところで、オッサンがデッカイ声で先に言うてネタばらしてしまう訳や、“オイ姉ちゃん、それからどうした!”とまた冷やかしてもうて、周りの客はそのオッサンの突っ込みで笑うとるわ、それで女の子二人はオッサンに持ち味殺されて、ネタがウケんからもうボロボロ涙流しながら漫才続けとるんや、そやけど、みんなそこから“何クソ!”と這い上がって来るんやろうなあ。春やすこけいこも、そうやったんちゃうかな」。
他愛も無い話だが、人の試練のオモロイ話でもあった。これが本当の修行というものだろうと思う。
藤川さん自身のネタは「阪神-巨人戦の阪神側のエゲツナイ野次はオモロイぞ!」と陽気なお話は幾つもある。体調不良の中、寝転がって聴いている分には心安らかになれる空間だった。
呑気な私と比べ、お経を覚えようと暗記に力を注ぐ出家準備の進むネイトさん。口移しでいけるとは言え、極力覚えようと経本片手に比丘に聞き、いよいよ剃髪が迫って来ます。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」