◆冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない

 

鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)

きっかけは、いっけん偶然かのように見紛われる。ある日偶然は、主人公が知りもしない世界へ強引に連行し、激烈な鞭打ちを浴びせかける。「どうして?」、「なにがどうなったの?」疑問をゆっくりと巡らせる暇もなく、主人公を「殺人犯人」と決めつける報道が全国を席巻し、主人公の名前や顔写真はおろか、住処の町名までが、量販店のバーゲンセールの広告を掲載するかのような、気軽さで新聞に掲載される。容赦のない取り調べは、有形でこそないが純粋な意味において「暴力」以外の何物でもない。

冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない。もっとも不幸な人は、何の関係もない咎により、首切られる(死刑)。または処刑台までいかずとも、長期にわたり拘置所、刑務所に幽閉される。あるいはまれに、嫌疑が晴らされマスコミにより「冤罪被害者」として扱われる場合がある。逮捕当時、あるいは公判中「犯人」と決めつけた報道を垂れ流していた罪など、ついぞ反省することなく、「加害者」を「悲劇の主人公」と報じる矛盾に、うち苦しむ報道機関はない(個人としての反省のケースはみられる)。

冤罪被害から解放されても、失った時間、主人公に襲い掛かった罵詈雑言の数々、報道被害が主人公に残した「加害の総体」は、何らかの尺度で測りうるものではない。主人公の語る言葉を、大衆はわかったような気になっているかもしれないが、それは大方の場合誤解である。わたしがこのように断定的に主人公が被った非道を論じるのは「テレビを見て、普通に笑っているんだと気がついたんです」と、事件解決後20年も経過した、主人公からの言葉をつい最近聞いた衝撃に由来する。笑いながら会話していたが、わたしの心の中は冷え切った。主人公に対して無遠慮であった自分を恥じた。

◆主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る

主人公はしかし、ただの被害者でありつづけたわけではない。「唯言」に登場する、執筆者をはじめとする、広大な人脈は、主人公が能動的に事件のあとを生きた証だ。「唯言」に登場する関屋俊幸、弓削達、高橋宣光、玉光順正、高田千枝子の各氏は主人公がいなければおそらくは出会うことがなかったであろう、それぞれ異なる分野で活躍された方々だ。あたかも書籍を編纂するように、主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る。その過程及び到達点から、乱反射する日本の姿(歴史・思想傾向・民族性など)の本質を、掌握した主人公が重ねて語るキーワードは「無答責と答責」である。

古代ローマ時代から、日本書紀を経て江戸・徳川時代から、明治維新、諸々の戦争を経て現在へ。主人公の歴史観は教科書で綴られるそれとは、かなり趣を異にする。日本の成り立ちについても同様だ。浅学で史実をほとんど知らない、あるいは「こうあって欲しかった」と幼児のように駄々をこねる、歴史修正主義者に対して、主人公の主張はどう映るか。冷厳な史実を見つめ続け、見つめるだけではなく、みずからが責任を取ろうとの試みは、常人の発想しうるものではなく、後にも先にも同様の試みを耳にしたことはない。

◆人間に暖かい社会とは何か?

主人公は国家が放棄した戦争責任を、「市民がどう引き受けるか」というとてつもない試みに足を踏み入れる。韓国と日本の間で何度もシンポジウムや講演会を開催する「答責会議」の発足は、主人公の存在なしにはありえなかった。その成果は『無答責と答責』(寿岳章子。祖父江孝男編、お茶の水書房 1995年)として世に出ることになるが、じつは『無答責と答責』の実質的編者は、主人公であったと、複数の知人から聞いた。その行動力の源泉は、はたしてなんであるのだろうか。冤罪被害者としての経験だけですべてを説明するのは不可能だとわたしは断じる。

主人公を際立たせすぎて紹介したが、「唯言」執筆者の方々はいずれも、個性的なその分野でトップを走った方ばかりである。当初部数限定の自費出版として編纂された「唯言」を手にした多くのひとびとは敏感に反応した。時代が「唯言」を要求していたといってよいだろう。世界史から物語が消えうせ、歴史が「自己解散」を宣言し、世界的にも事象はもっぱら権力者の気まぐれか、2進法による貸借対象表の合法的改ざんによる幻想のなかにしか存在しないかのごとき今日、「唯言」は無理やりにでも「自己解散」を宣言した歴史に「再結集」を命じる。

主人公・山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)は、冷徹な態度で、人間に暖かい社会とは何かを仲間と語り合った。

鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)