あきれる。あなたは新聞記者なのか? 人権を守る弁護士なのか? 教養をそなえた大学教員なのか? 10月19日大阪高裁で言い渡されたM君が李信恵ら5名を訴えた控訴審判決が大阪高裁で言い渡された。その後ネット上で上記の人々の発信には、その不埒さにおいて唖然とするしかない。「伊藤さん、李さん、神原さん、おめでとうございます!」、「正義は勝つ!!」、「(誰に対して?)よく耐えたね」……。あなたたちの神経はどうなっているのか?
それら侘しい人たちの発信を吟味する前に、この裁判がとてつもない〈闇の力〉に支配されているのではないか、を判決当日われわれは、またしても体感することとなった。その報告をせねばなるまい。
◆被告席には誰の姿もない。神原、上瀧弁護士らの姿もない
14時からの判決言い渡しは、予定時刻通り行われた。原告側はM君、大川弁護士、瀬川弁護士が出廷。被告席には誰の姿もない。神原、上瀧弁護士らの姿もない。カウンター側の支援者は誰一人来ていない。
傍聴席には15名ほどであろうか。開廷後稲葉重子裁判長は、判決の主文を読み上げる。「ああ、こう来たか」と取材班は判決を聞き、瞬時に評価を頭の中では整理できなかった。主文はどうあれ、高裁がどのような根拠で判断したのか、判決文の全文を読まない限り、軽率に判断はできない。
閉廷後、大川弁護士ら数名は書記官室に、判決文を受け取りに向かった。そして事件はそこで起こった。判決言い渡しのあとに、原告、被告が判決文を入手するのは、極めて常識的なプロセスである。ところが書記官室に判決文を受け取りに行ったところ、職員が「できればきょうではなく後日お渡ししたいんですけれども」、「すぐにはお渡しできないので……」と耳を疑うような言葉を平然と述べた。
「どうして判決言い渡しがあったのに判決文がもらえないのですか」、「ちょっと待て。M君が原告の裁判では、1人も記者が来てはいなかったが、司法記者クラブが記者会見を用意していたら、裁判所は記者たちに判決の要旨を配布するではないか」の問いに職員は「それはそうなんですけど……」とおかしな反応を示す。
「今すぐ判決文を受け取る権利がある。出してください」と要請すると「検討します」と逃げるので「検討ではない、原告の正当な権利として判決文を渡しなさい」とやり取り後、原告側はいったん、廊下で待たされ、約10分後にようやく判決文が原告側に渡された。
◆神原元弁護士はなぜ14時33分に「勝利宣言」をツイートできたのか?
主文は掌握していたが、裁判所の判断などを原告側が初めて目にしたのは、14時17分から14時20分の間だ。
ところが、のちに明らかになったのであるが、神原元弁護士は14時33分に「勝利宣言」をツイートしている。彼はおそらく電話で判決の主文を問い合わせたのであろう(原告、被告の代理人が遠隔地の場合電話で判決主文を問い合わせることは行われているそうだ)。
しかし大川弁護士をはじめとするわれわれは「少し廊下で待ってくれ」と言われ、仕方なく待機を余儀なくされた。判決全文を読まないことには評価が下せないが、神原元弁護士はどうやら、電話での確認だけで、「勝利宣言」を発信したようである。
仮に職員の申し出に「ああそうですか」と引き下がっていたらM君は判決当日判決文を入手できなかったのだ。どなたさんたちとは違い、慎重なM君や弁護団は主文を聞いただけで、判決の総合的な評価は下さないから、当然発信もしない。ネット上では勝手に被告支持者の「勝った! 勝った!」、「おめでとう」という言説が流布される。
◆「リンチは判決によって否定され、原告M君が敗訴した」かのような印象操作や鹿砦社攻撃に余念がない人たち
「こんな経験はありません」。廊下で待たされる間に大川弁護士は次から次へと起こる”摩訶不思議”な出来事に、あっけにとられていた。通常の裁判所の事務手続きでは考えられない「翌日に判決文を取りに来い」との物言いに、「裁判所は完全にあちら側に懐柔されているのではないか」と何度も複数の人々が主張した”何らかの力・意志”の存在を認識せずにはいられなかった。
度重なる記者会見申し入れの拒否、一審判決の著しい偏向、そして控訴審判決直後の不自然な対応……。挙げればきりがないが、後日、判決文と周辺事態の感想を複数の弁護士、法律の専門家に尋ねたところ、「最高裁の意を受けたり、政治的な力学で判決が左右されることは常識といってよいほどにある。原発再稼働容認の判断などを見ればわかりやすいだろう」との意見が多数であった。
市民が合法的に民事の争いを持ち込む場所は、裁判所をおいてほかにない。しかし裁判所が「中立」であったり「真摯に事実に向き合う」機関ではないことは、過去あまたの冤罪事件(民事も刑事も)や、「これはおかしいだろう」との判決が山積している事実を見ればわかる。「裁判所に過剰な期待や信頼を置くのは危険だ」と取材班は、もはや断言せざるをえない。そして「M君リンチ事件」の裏には“何らかの思惑”が確実に働いている。
そんな裁判所、大阪高裁判決に対して、東京新聞の佐藤圭記者、法政大学中沢けい教授、そして香山リカ氏……。彼らはそろいもそろって、あたかも「リンチは判決によって否定され、原告M君が敗訴した」かのような印象操作や鹿砦社攻撃に余念がないが、それは全く間違っている。
◆「集団暴行」による賠償は一審に引き続き認定されているにもかかわらず……
そもそも彼らは「リンチ」の定義を勝手に「組織的な集団暴行」と決めつけているように窺えるが、その前提がまず間違いだ。「リンチ」は「私刑」を意味するのであり、法律や条例により定められた刑罰ではない、「私的な制裁」が元の意味である。「リンチ」=「集団暴行」ではなく、正確には「リンチ」の概念の中に「集団暴行」が包含されるというべきである。それでも彼らが主張するように「集団暴行」を「リンチ」と解釈する前提に立てば、高裁判決は「リンチ」を否定したのか? してはいない!
伊藤大介の「幇助」を認定しなかったものの、高裁判決はエル金と凡にそれぞれ損害賠償を命じている。2名の責任を認定しているのだから「個人間」の「暴行」ではなく「集団暴行」による賠償は一審に引き続き認定されており、その額も一審判決よりも増額されている(一審判決79万9,740円から113万7,640円へ)。
そして重要なことは、この裁判は事実を争うことのみが主眼ではなく、M君が受けた心身の被害に対する、当然受け取る権利のある、損害賠償請求が争点の中心であったことである。「集団暴行」が間違いない事実であったことは、本訴訟を待つまでもなく、既にエル金と、凡が罰金刑に処されたことにより確定しており、両者にはこの刑事罰についての異議はないようである。法廷でもエル金、凡は自己の責任を認め、M君に対する謝罪の意思を証言している。また当然のことながら、判決文のどこにも「集団暴行はなかった」旨断定する記載はない。
そしてあまり重視されていないが、伊藤大介が提起した反訴が一審に続き、棄却されている。
この総体をどう解釈すれば、どこかM君に非があったり、「リンチはなかった」、「正義は勝つ」などと判断できるのか。いい歳をして社会的にも地位があり、知識人として名前の売れている方々であまりにも不用意な発信を続けている人々には、上記の事実に真っ当な反論をしていただきたいものだ。「印象操作」は嘘と同等にネット社会では罪深い。それくらいは、だれでも理解できるだろう。(本文中敬称略)