平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

民江さんは88才の誕生日の頃に認知症の診断を受け、衣食住の中に「できないこと」があるかもしれないと、思いを巡らせるようになりました。その一つが、着替えと洗濯です。洗濯が済んだかどうかと聞くと、「だって、洗濯するものがないんだもん」と言いました。はじめは、「そうかそうか」で済ませましたが、次に聞いた時も同じこたえでした。それから幾度か同じ質問をして、「おかしい」と思いました。「ないわけないでしょ」と言うと、「だって汚れてないんだもん」と。もうこれは完全に「おかしい」です。

一緒に住んでいれば、夜にはパジャマを、朝には見計らった服を差し出すことができますが、民江さんは独り暮らしです。私が気が付いたこの時には、家に帰るとブラウスやズボンを脱いで、肌着のまま布団に入り、翌朝またその肌着の上にブラウスを着てズボンを履くだけ。つまり同じ肌着をずっと着ている状態になっていたようです。タオルも真っ黒になっていました。きれい好きな民江さんが、ここまで進んでいるとは思っていませんでした。

なんとか着替えと洗濯をして欲しい。説得中に私がうっかり「汚いでしょ」と言おうものなら、「汚くない」、「自分の着た物のどこが汚い」と怒らせてしまい、会話になりません。

ならば洗濯は私が全部するから、着替えだけはして欲しい。整理ダンスに貼り紙をして、どこに何が入っているか一目でわかるようにしましたが、着替える意志がないからか、効果はありませんでした。電話で一つ一つ順番に動作を伝えて、やっと着替えることができましたが、長いと30分かかることもあり、民江さんも私もヘトヘトになりました。

昨年の暮れ、民江さんの家に行き、部屋の片付けをしながら着替えをしてもらっていた時のことです。途中裸でウロウロ歩き回ったり、パンツを2枚履いてしまう姿を見てしまいました。自力でできなくなったことを無理に私がやらせようとしていたことに気が付いた瞬間でした。民江さんの自尊心を傷つけていたかもしれません。

それから間もない大晦日の晩、例年通り、我が家でお鍋を囲んでいました。お肉に箸が止まらず、「生まれて初めてビールを飲むわ」(本当はいつも飲んでいます)と真顔で言って周囲を爆笑させ、テレビに合わせて歌を唄い、この頃には珍しく口数も多く、ご機嫌な時間を過ごしていました。ところが、「そろそろお母さん、お風呂に入ってくれる?」と言うと、いつものような「ではお先にちょうだいします」という返事がありません。ん? デイサービスでお風呂に入り、シャンプーもしてもらっているから、今夜は入らなくていいと言います。

 

デイサービスのお風呂が気持ちいいことは、毎日聞いていますが、我が家のお風呂もお気に入りだったはずです。再度私が勧めても、返事は同じどころか、怒って泣き出す始末です。「じゃあ、今日は私がシャンプーしてあげるから、入ろうよ」民江さんはやっと立ち上がり、私は一緒に準備してきたパジャマと下着を鞄から出す手伝いをしました。

ところがしばらくすると、今度は裸で廊下をウロウロしているではありませんか。私は理由がわからないまま、お風呂に連れて行きました。「デイサービスの人のように上手にできないかもしれないよ。どうやったらいいか教えてね」と言うと、背中を丸めて両手で顔を隠して言いました。「頭からお湯を掛けますよーって言って、お湯をかけて。お湯を掛けますよーって」と。まるで幼い子供がお母さんにお湯を掛けてもらうのを待っている時のようです。母のその後ろ姿に一瞬言葉を失いました。

そして、脱衣かごに入っていた汚れた下着を見て、現実を思い知りました。
私は、もっと早く民江さんの変化に気が付いて対応してあげていればよかったと、少なからず後悔をしています。私は、あの母が認知症になるという意識が全くなかったのです。そのせいで、多少のおかしな言動も、加齢によって性格が強く出てきているだけだと解釈していました。認知症に対する知識を集めることもしていませんでしたので、不用意な言葉をかけたり、不適切な態度を取ったかもしれないと思うと、「私が認知症の進行を早めたのかな」と、そんなふうに考えてしまいます。

認知症についての資料には、「感情的になってはいけません」、「怒ってはいけません」と必ず書いてあります。しかし一方で「怒った自分を責める必要はありません」、「たまには怒ってもいいのです」とも書いてあります。「じゃあ、どっちなのよ!」ですが、症状も元々の性格も家族の歴史も周囲の状況も様々なのですから、自分に合った良い方法を探し、解決していくことによって、納得し、心を整えていくしかないということでしょう。

着替えの話は、次回につづきます。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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